暗い心の解決があった
秋山 仁一(仮名)
私は、浄土真宗の盛んな、富山県に生まれました。スポーツ好きの父と優しい母、そして弟との4人家族。仲良く暮らす毎日でした。
幼い頃から体が弱く、人と話をする事も苦手だった私は、内気な性格となっていきました。
小学校の友達もちょっかいを出しやすかったのか、事有るごとに嫌がらせを受け、些細な事でも過敏になり、元気に外を走り回る弟と比べて、次第に学校へ行くのも嫌になっていました。
父は、内に閉じこもりがちな私を心配して、キャッチボールに誘ったり、散歩に誘ったりしました。スポーツでもやったらどうか、という父の勧めもあり、中学校では陸上競技、高校ではラグビーに打ち込みました。
厳しい練習や合宿もありましたが、同じ目標に向かって汗を流し、励まし合い、1つ1つが思い出として心に刻まれて行くのが楽しみとなりました。
小学校の時から考えると比べられない程の友達にも囲まれ、人と話をする事が楽しくなり、恋愛もし、目の前に打ち込めるものがある。
充実感を味わいながらの日々でした。
そんな高校3年生の春。衝撃が襲ったのです。
友人の自殺――。机の上には花が置かれ、昨日まで話をしていた彼が、突然目の前から消えました。通夜と葬式に参列し、別れの言葉に皆、泣いていました。棺の中の彼は、まるで今にも冗談を言いそうな表情なのに、声を掛けても返事は無い。重く感じる棺を持ちながら、ただ、彼の死に戸惑いを覚えるばかりでした。
それからというもの、人はいつか必ず死んで行かねばならない、重く暗いものが私の心を覆うようになっていました。
ふと思い出す死の不安。これから、大学へ行き、会社に入り、結婚、家庭、老後を迎えて、そして死んで行く。
やがて死ぬのに、なぜ生きねばならないんだろう?一人、考え込む事も度々でした。
考え出すと暗く沈む、考えないように、とにかく楽しまなければと、ラグビーに打ち込み、カラオケで熱唱、暗い思いをかき消すかの様に努めました。
ところが、いくら消そうとしても、心のモヤモヤは無くならない。苛立ちさえ感じました。
やがて、この暗い心は、環境を変え明るくお洒落な街に出れば晴れるんじゃないか、と思い始めました。そうだ、幼いときからの暗い思いを捨てるには、ここを離れるしかない!
心に決め、必死に受験勉強に励んだのです。
その結果、晴れて都会の大学に合格。胴上げされながら、きっとこれから楽しい人生が始まるに違いないと胸躍らせていました。
その日、声を掛けられたのが、私と親鸞聖人との出会いでした。
理路整然と進む話は、とても魅力的でした。そして6月、親鸞会館にて、高森先生にお会いしたのです。まさか飛び出してきた富山に、先生がおられたとは!驚きました。
私を苦しませる根元は、無明の闇という後生暗い心である。その無明の闇が破られ、人間に生まれて本当に良かった!という生命の大歓喜を味わうこと。これが、なぜ生きるの答えなのか。
暗い心の解決がここにあった。なぜ生きるの答えが、親鸞聖人の教えに明らかにされていた。感動の日々でした。
その翌年、阪神大震災に襲われたのです。一面瓦礫の山と化した街並み、次々に運ばれてくる遺体。死のすれすれの所で、仏説まことを知らされました。
火宅無常の世界は、万のこと皆もって
空事・たわごと・真実あること無し(歎異鈔)
一切の滅びる中に滅びざる幸福こそ、私達全ての願いです。