心静かに老いを生きる|親鸞会 会員の声

日本人の平均寿命が大幅にのび、数十年後には4人に1人が高齢者(国連の定義で65歳以上)という計算になる。今日、多くの老人が深刻な孤独の中にある一方で、親鸞聖人の教えに、人生のあらゆる苦難を乗り越えさせる力があることを、親鸞学徒は身をもって示している。

姥捨てツアーじゃないんだ

ある年の冬、高齢者のために 「インドネシア避寒ツアー」が企画された。たちまち予定枠を超える300名以上の申し込みに、担当者からはうれしい悲鳴が上がる。

ところが妙なことに、申込者の多くは、海外へ行くにはかなりの高齢で、用紙の字も、どうも本人のものではなさそうだった。

念のため、家族に問い合わせると、「金は払うから、1年でも2年でも預かってほしい」「家では面倒見切れないので」などの回答が相次いだ。

「姥捨てツアーじゃないんだ」。憤慨した主催者側が、受け付けを本人からの申し込みに限定すると、参加者は8人に減ったという。

長生きは有り難いか

今や日本は、世界一の長寿国と呼ばれ、典型的な高齢社会を迎えている。

長生きできるのは有り難いが、ただ喜んでばかりもいられない。今の社会で、どれだけの高齢者が心安く生きていけるものだろうか。

平成15年の日本の自殺者総数が、34,427人(警察庁発表)と過去最悪を記録したが、そのうち60歳以上の自殺が3割を占めている。高齢者を取り巻く状況がいかに厳しいかをうかがわせる。

生かせぬ「ゆとり」

年老いた時、どんな問題に直面するのか。若いうちは先送りできても、いざ自身がその身となった時、愕然とさせられる。

『朝日新聞』 に連載された「孤独のレッスン」の中で、教育学者の上田薫氏が、「老い」について次のように述べている。

いま、私は82歳。頭では分かっていたけれど、年を取るということは大変なことですね。「好きなことをして淡々と」 といわれるが、そんなものじゃない。毎日、いまの世にいっぱい違和感を覚え、見ていられない、何とかしなければ、と焦っている。

しかし、手段に乏しいのです。私はいま元気ですが、やがてボケも骨折も起きようし、限界は見えている。希望がない。容赦のない生殺し、いや、いつ出られるか分からない牢獄です。多くの老人が生かしようのない「ゆとり」の中にいる。これは史上かつてなかったこと。想定していなかった発見で、見過ごせない実験か、とさえ思います。

日本もいま、同じ状況かもしれない。欧米を追いかけてきて、一応は豊かになった。でも、未来が見えない。どんな目標、生き方、倫理があるのか。教育にしても、受験勉強、一流の大学、大企業、定年までの安定、という図式はとうに崩れているのに、代わるべき指針がない。行き先が分からないまま、教師は子どもを教えている。閉じこめられた老人と似た不安の中にいるように思います。

肉体という牢獄

上田氏は、老いて自由の利かなくなった肉体を「牢獄」と表現し、不満を抱きながら、どうすることもできない閉塞感、不安や孤独を訴える。

「私はまだ生きていていいのか」と思うことがある。 今までは自分で何とか生きてきたが、これからは迷惑をかけるばかりだろう。

若い人は「あんな老人になりたくない」と思っているだろうが、じゃあ、どうすればいいのか。老人になってから考えても遅いのです。どう生きるべきか、若い時から考えておくことです。「老人にやさしく」「福祉の充実を」だけでは片づきません。

細島灯台 宮崎県・日向市
細島灯台 宮崎県・日向市

真の宗教の救済

高齢社会に、政府も福祉政策を進めているが、その大半は介護問題に終始し、老人の孤独、不安など、精神的ケアには形がない。また氏は、宗教にも疑問をぶつける。

禅堂や修道院の世界もあるが、日常の中での生身の悲しみや孤独とどれだけぶつかっているか、考え直す必要がある。いまの老人や社会が置かれている状況は、昔よりずっと残酷なのだから。 (『朝日新聞』平成14年12月17日号「孤独のレッスン 若い時から人生考えよう」)

これが良識的な人々の宗教観ともいえよう。

親鸞聖人の教えを正しく知れば、高齢者のみならず、すべての人々は人生の底知れぬ孤独のふちから救われ、明るく、たくましい人生が開かれる。

その実例を紹介しよう。

82歳 老人ホームで法悦の日々 「常に聖人とともに」

富山県内のとある老人ホーム に、川本さん(82:仮名)を訪ねた。

6畳の個室に1人で暮らす川本さんは、親鸞聖人のアニメと、高森顕徹先生のご著書の拝読を欠かすことはない。聞法歴24年。報恩感謝の親鸞学徒だ。

3年前に脳梗塞で倒れ、快復したとはいえ、手足にしびれが残っている。歩行にまだ不自由を感じるが、表情は明るく生き生きしていた。

「2階のAさんが自殺したそうだ」。そのうわさは、たちまちホームじゅうに伝わった。今年の夏のことである。「間に合わなかった」。川本さんは胸が痛んだ。

入居してくるのは大概、若いころ、働きづめできた人だ。そんな人たちに、することのないホームの日々は、気楽なようで、実は深刻な孤独地獄の中にある。

川本さんは、老後を迎える人たちに、何とか生きる目的を知らせたいと、縁あるごとに仏教の小冊子を手渡し、聖人の教えを伝えてきた。

3月に入会した野本さん(78:仮名)もその1人。3年前、入院先で知り合い、小冊子が縁で親しくなった。

聖人の教えに引かれた野本さんは、やがて毎月、川本さんのホームを訪ねるように。

「仏法の話になると力が入って延々と語る。どうして川本さんはこんなに詳しいのか、いつもびっくりしていました」と振り返る。

最近は、川本さんの部屋でビデオご法話も開かれるようになり、ホーム内で仏縁を結ぶ人も現れている。

独り暮らしも寂しくはない、と川本さんは言う。

「寂しさはあっても、それを本当に分かってくださる方がおられるから。聖人御臨末のお言葉 『1人居て喜ばは2人と思うべし、2人居て喜ばは3人と思うべし、その1人は親鸞なり』を思う時、ありがたくて、なおさら聞法せずにおれなくなるんです」

壁には高森顕徹先生のお写真が掛けられている。時折、見上げては、昭和55年、どしゃ降りの中、初めて高岡会館に参詣した日を思い出す。

「先生にお会いできなければ、弥陀の本願は全く分からんかったでしょうね。昿劫多生の間、どんなご縁があったのか、私は本当に幸せ者です」

如来聖人のご恩に涙を浮かべ、聖人の教えに生かされる身の幸をかみしめていた。

すごいパワーの源 圧倒的な聖人のお言葉

「気力、体力衰える一方だったのに、なぜこんな元気が出てくるのか不思議なんです」

富山県の久永さん(79:仮名)は、聖人のお言葉の力に感嘆する。

『教学聖典』が発刊された時、 すぐに求めたものの、「この年で勉強は無理」と、仏壇にしまったままでいた。

しかし昨年、 法友が次々と受験するのを見て、「1つだけなら受けてみよう」と『聖典』 (1)を取り出した。

最初の試験に合格すると、 自然に 『聖典』 (2)に手が伸びる。

「今までお茶、 お花、 謡曲などいろいろ趣味がありましたが、 この年になるとどれも気が入らない。 だけど教学は違いました」  

テレビをつけても、「こんなことしていていいのか」と声なき声に動かされ、 勉強机に向かっていた。 夜中に目が覚めると、 ご文を忘れていないか口唱した。 言えなければ、 布団から出て『聖典』を確認する。 試験時間内で書き終える訓練をした時は、 没頭するあまり食事を取るのも忘れていた。

「問いと答えを一緒に覚えるようにすると、勉強するままが、聴聞させていただくようでした」

生活が、常に聖人のお言葉とともにある。

腱鞘炎で、腕の痛みにも悩まされたが、試験本番はなぜか痛みが消えていた。

7月、『聖典』 (9)までほぼ満点で合格を果たす。

「この年で、これだけ真剣になれる自分が信じられません。親鸞聖人のお言葉から、ものすごい力を頂きました」

教学に卒業はないと、久永さんは、 再び『聖典』 (1)から勉強を始めている。

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る