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兵庫のKさんは、いつも通っている診療所の待合室で、イキイキと会話しているOさん(87)を見て、「素敵だなあ」と感じていた。
そんなKさんが、チラシを見て仏教勉強会に参加したのは10月半ばのこと。
その会場でOさんを見つけてビックリ。思わず、「診療所で話をされていた方ですね」と声をかけたという。
元気の源は親鸞聖人のみ教えにあると知ったKさんは、翌月の親鸞会50周年大会に参詣した。
「この年になって、こんな素晴らしい所に連れてきてもらえるなんて、もう忘れることのできないご縁です」と喜んでいる。
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「やはり仏法に説かれていることは本当でしたね。この世の幸せは色あせる。自分の人生を振り返っても、周囲を見ても、そう感じます」。
Mさん(43)は仕事で知り合ったTさんに誘われ、23年ぶりに親鸞会館へ足を運んだ。
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「念仏さえ称えておれば、だれでも死ねば阿弥陀さまが助けてくださるという話を永年聞いてきました。浄土真宗の盛んな広島に生まれながら、親鸞聖人の本当の教えを全く知らなかったんです」
そんなHさんが親鸞会の講演会に参詣するようになり、この世で弥陀に救い摂られなければ、後生は一大事と初めて聞いた。
それが親鸞聖人や蓮如上人のお言葉ではっきり教えられていることに驚く。
もっと教えを知りたくなり、広島から富山の親鸞会館に参詣、家庭法話も開くようになった。
「『仏教とは』『阿弥陀仏とお釈迦さまの違い』など、一から教えてもらえることがうれしくて。今は、学ばせていただいた親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を通して、仏法を伝えていきたい気持ちです」
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親鸞会会員一人一人が、家族や友人・知人に親鸞聖人のみ教えをお伝えし、ともに親鸞会館に参詣しようとしています。
中でも、看護師のSさんはムードメーカーで、彼女の周りにはいつも多くの人が集まります。
担当していた患者夫妻は、Sさんの笑顔に引かれ、「どうして、いつもそんなに明るいのですか?」と質問したそうです。
「仏教を聞いているからよ」と答えると、関心を持った2人は、9月初旬、公開講座に参加されました。
「人間の実相」の譬え話に驚かれ、親鸞会館参詣を決められました。
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親鸞会館のご法話で聞かせていただいたあと、約1時間、仏法談議をしています。
もったいなくも聞き漏らしていたこと、正しく理解できていなかったこと、漠然としていたことが、直後に語り合うことで、浮き彫りになってまいります。
ハッキリ理解できると、仏法の尊さ、有り難さが知らされ、喜びあふれ、ご縁のなかった人に伝えたいという気持ちになります。
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「子や孫に仏法を伝えたい。それ一つが母の願いでした」
と語るSさんは、昨年亡くなられた実母の追悼を縁に、8月3日のご法話に家族や兄姉、甥たち12名と参詣されました。
九州から初めて親鸞会館に足を運んだ親戚は、「こんな素晴らしいお話を聞いていたなんて、お義母さんは幸せね」と話していたそうです。
「親鸞会結成50周年大会には、今回ご縁のなかった親戚も一緒に参詣したいですね」と、Sさんは語っています。
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奄美諸島からKさんの叔父さん夫婦が、家族の追悼を縁に親鸞会館に参詣されました。
船で鹿児島へ移動し、そこからバスで大阪へ。
さらにバスを乗り換え富山に到着。往復1週間かけてご縁を結ばれました。
「甥がプレゼントしてくれた『なぜ生きる』に感動したんです。高森顕徹先生のご説法、何度でもお聞きしたくなります」
と喜ばれました。
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来日6年になるインド人のPさんは、妻とハワイ旅行中、バス停で出会った親鸞会会員から真実の仏法を聞く。
もっと聞きたい、と思ったところでバスが来た。
日本に帰り、届いたメールで親鸞会館への行き方を知り、ご法話に無事参詣。
「仏教は今の時代、最も必要な教えですね」
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「親鸞学徒追悼法要で、亡くなった方を縁に、自分が仏法を聞かせていただかんとね」
富山県内の藤井さん宅を訪ね、『顕正新聞』にあった追悼法要の意義について声に出して読みました。
すると、いつもは体の都合でご縁のない藤井さんが「そやそや」とうなずき、奥さんの追悼を申し出られ、笑顔で参詣されました。
一緒に『顕正新聞』を拝読すると、気持ちが一つになるようで本当にいいことだと喜んでいます。
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岐阜県郡上市から20名の法友が、初めて親鸞会館へ参詣しました。
地元の勉強会はチラシで盛況なのですが、一人一人にもっと詳しく親鸞聖人の教えを伝えることができないか考えた末、終了後に30分、必ず仏法の語り合いをするようにしました。
やがて、親鸞会館ご法話へ行こうと参加者の心が一つになり、その中の一人が「それならバスを借りて、私が運転しましょう」と名乗り出られたのです。
補助席まで満員で東海北陸道を駆け抜けました。