小・中学時代、いじめを受けたことがあるというCさんとDさんに、当時を振り返り、今の「いじめ自殺」問題についてどう思うか、語ってもらった。
Cさん(男性)のケース
――いつごろ、どんないじめを受けたのですか?
小学三年から中学3年まで続きました。小学時代は、登下校の際、重い物を持たされる、高い所から飛び降りさせられる、おかしなあだ名で呼ばれる、公園で危険な遊びを強要される、落ちている食べ物を食べさせられる、暴力を受けるなどです。
中学時代は、見えない所で1時間ほど暴行されたり、引きずられたりしました。
下校時間になると不良たちが校門にたむろしているんです。小魚が大群を作って狙われにくくするように、集団で校門を通り抜けました。
――「自殺」を考えたことがありましたか?
小学4年の時にあります。でもしなかったのは、怖くてできなかったのと、殺されるくらいなら殺してやろうと思ったからです。
――いじめ自殺が連日報道されていますが、どのような気持ちになりますか?
いろいろ思います。「加害者はかつて被害者だった」といわれるように、いじめっ子をなくすには、まず、その子の家庭の問題を解決しなければならない。じゃあどうやって?
メディアで、せっかくいじめを題材にした番組を作っても、ただ「いじめっ子が悪い、親が悪い、学校が悪い、先生が悪い」と言うばかりで根本の「なぜ人命は尊いのか?」という話をしようとしない。またそんな話をしたら、信教の自由の侵害だ、怪しい宗教だ、とかで妨害されるでしょう。だから本気でいじめをなくそうと思ったら、遠回りのようでも、結局1人1人に人命の尊厳を説かれた親鸞聖人の教えをお届けするしかない、という結論になると思うんです。
――文部科学相の元に、いじめ自殺を予告する手紙が相次いでいるようです。目の前でいじめを苦に自殺しようとしている子供がいたら、どのような話をしますか?
少し前にインターネット上で、「彼に死ねと言われたから死にます」という書き込みを見ました。「人の命の価値を知らない人に、『死ね』って言われたからって死ぬことないです?○○さんはまだ生きて果たすべき目的を果たしてないじゃないですか。その目的を果たさずに死なないでください?」という文章を送りました。そう言って止めると思います。
Dさん(男性)のケース
――いじめを受けたのは、いつごろのことですか?
中学2年の時です。
――どのような?
体育館の倉庫に連れていかれては、10人くらいのグループから暴行を受けました。
告げ口したら、もっと激しい暴行を加えると脅されていました。私への暴行は彼らにとって、ストレス解消の手段でした。
――「自殺」も考えたのでしょうか?
死んだほうがましだと、真剣に自殺を考えていました。でも、死んだらどうなるかと一歩踏み出すと、何とも言えない不安に襲われて、生きていればきっとそのうちいいことがあると自分に言い聞かせて、踏みとどまりました。
――最近の報道を見て、どう思いますか?
いじめを受けた経験から言うと、目の前の苦しみから逃れるため、死のうとする気持ちはよく分かります。ただそのために、人生でなさねばならない大事を知らぬまま、尊い命を簡単に捨ててしまうのは本当に悲しいことです。
いじめられる私もそうでしたが、いじめる側も日常が実につまらない、ということばかり言っていました。
その憂さ晴らしが「いじめ」であったのでしょう。彼らは、
「おまえはおもちゃだ」「おまえの存在がムカつくんだ」
「死にたきゃ死んだら?」と、平気で言っていました。いじめるほうも、いじめられるほうも、命の大切さはまるで感じていませんでした。
最近の報道を聞くたびに、これほどまでに心の渇き切った人が多いのかと、痛感せずにおれません。
――いじめ自殺を予告した手紙が相次いでいますが、本人に、どんな言葉をかけたらいいでしょう?
自殺まで追い詰められた人には、一般に言われているような励まし、慰めも非常に大切だと思います。
でも、ただそれだけでは、止めた側も、止められた側も、必ず、もやもやしたものが残ると思うんです。つまり、なぜ死ぬのを止めねばならないのか。なぜ死んではいけないのか、と。その肝心なところには、だれも踏み込んできません。一般紙で、識者たちの寄稿を見ても、「〜してはどうだろう」「〜ではないかな」と言うだけで、断言しているものはありません。
その理由はハッキリしています。だれも人生の目的を知らないのです。ただ親鸞聖人だけが、「この人生、ここ一つ果たさなければならない目的がある」と断言され、その目的達成するまでは、どんなに苦しくても生きていこう!と励ましてくださっています。
「難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」(教行信証の冒頭)
親鸞聖人の自信に満ちた断言を、底知れず頼もしく感じます。こんな時代だからこそ、聖人のみ教えが際立って輝くのではないでしょうか。
後記
政府は昨年、関係省庁連絡会議の中で、自殺予防に積極的に取り組む姿勢を明らかにした。それによれば、年間3万人を超える自殺者数を、10年で、2万5000人前後に減らす数値目標を決めたという。
生きるか死ぬかという人生の大事を、数字で目標を設定するというこの発想が、いかにも、である。人間1人の命の尊厳は、数字に置き換えられるものではないだろう。
切実な現場の声を聞くにつけ、親鸞学徒にしかできないことを、今こそ堅実に実践していきたいと思う。
特集3 いじめられる側から見た「いじめ自殺」の問題