「親鸞一人が為」の衝撃|親鸞会.NET

言いようのない虚しさ

平沢祐介(仮名)

 12歳の時から親元離れて暮らし始め、海外にも住んだこともある私は、幼い頃から一人で過ごすことが多く、孤独や不安を常に感じて生きてきました。

 中学、高校の時には勉強や部活動に打ち込み、仲の良い仲間とそれなりに充実した毎日をおくっていたのですが、言いようのない虚しさは、ゴマカすことはできませんでした。

 でも…こんな自分であっても、大学に入れば何かが変わるかもしれない。 今までの自分を変えたい、その思いから志望していた大学に合格しました。

 しかし、大学のキャンパスを歩きながら感じたことは……
 あれ程頑張ったのに、得られたモノはこれだけか…、胸に大きな穴が空いたような失望感でした。
 喜びはすぐに色褪せ、残ったのは、本当に命を燃やせるものがない無気力な自分でした。

 何をしても報われない……
 それならばいっそ好きなことをやった方が良いのではないか。
 せっかく望んだ大学に入ったのだから、やりたいことをやれるだけやってみよう。
 そう思った私は、入学した頃先輩から『人生の目的について学んでみないか』と何度、声をかけられても、全く聞く耳を持ちませんでした。

 1年間、好きなことを好きなだけやってみました。
 大学には行かず、家にもまるで帰らず、あることで手にした数百万で夜の街を朝まで遊びふける。
振り返ってみると色々な物に恵まれ、初めに思い描いていたモノの大半は手にする事が出来ていました。
 しかし……なぜか、やってもやっても焦りと不安ばかりが募っていくのです。

 結局、自分は一番大切な問題を考えることを先へ先へと先送りしているのでは?
 という恐ろしい疑問が後から後から湧き上がり、打ち消すことが出来ませんでした…

 お金や他人からの評価、周りの人間に恵まれても、私自身が苦しむという事に、少しも変わりはない…
 そうハッキリ感じた私は、何とかこの苦しみの世界から脱したいと、これまでの人生を真剣に振り返ってみました。

 そんな時、目に止まったのが机の上にあった高森顕徹先生の著書だったのです。

親鸞聖人のお言葉、眼前に

 1年前、先輩に勧められるがままに求めたときには、気にもしなかったけど、今なら読めるかも…いや、読んでみたい!
 その時、強烈に感じました。

 実際に読み始めると、口をついて出てきたのは『分かる!!分かる!!!』の言葉でした。
 これは他の誰でもない、私自身のことを書いた本だ。
 まるで自分の知らない自分さえも見透かされて、言い当てられているようでした。
 乾いた大地に雨が染み込むように、自分の心の中に深く浸透していくのが分かりました。
決して大げさでなく、正直…心の底より救われた気がいたしました。

 そして、一度、読み終わった後も、すぐに二度、三度と読み返さずにはおれなくなっていました。

 このような本は、人生で、始めてのことでした。

 しかし、何度か読み返した後、どうしても頭から離れきれない一つの疑問が浮かんで参りました。
 それは、『平生業成』。生きている今、人生の目的が完成できる。そんなことが、本当に人の身の上に起こりうるのか。

 これが最後まで私が引っかかった点でした。
 もう、残酷な裏切りには傷つけられたくない。

 頑張ったのに報われないのはまっぴらだ。
 本当にこんな体験ができるのか、ハッキリさせてから、それに向かって生きてゆきたい。

「人生の目的はあったらよいなとか、あっても無くてもよいものじゃない。無くてはならないものだ。
 そして、あるとしたらきっとこれだと思う。じゃあ、達成できるものなのだろうか……」

 そんな思いから、どこかに自分の心に引っかかる場所はないものかと読み続けました。
「そんなものあるものか……」
という思いと、その反面、
「どこかに、どこかに、あって欲しい!
 この世でハッキリ救われる、本当の幸せになれる手がかりが」、
と祈るような気持ちで読み返しました。

 そんな時、心に留まったのが

 『弥陀の誓願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がため』

というお言葉でした。

 親鸞聖人は、全人類が救われると、確かに言われている。
 しかしここでは「親鸞、一人がため」と言われている。

 これはもしかして…本当のことではないのか……

 苦しんで苦しんで苦しんで、求めて求めて、求め抜いた果てに、救われた人間は、たとえその救われた瞬間に、全ての人間が救われる教えだと分かったとしても、
 『自分一人が為だった…』と言わずにはおれないのではなかろうか……

 そして同時に
 『何とかして、どうにかして、この慶びをあなたに伝えたい!!!』
 という親鸞聖人の焼けるような熱火の法悦が、800年の時空を越え、その時、私まで伝わって来た気がいたしました。

 大学に入学した頃、講師の方や先輩からいくら言われても、自分の問題として捉えられず、遠く離れた所にあった聖人のお言葉が、初めて私の目の前に迫り、心は仏法を学ばせて頂きたいという気持ちになっていました。

 高森先生、ありがとうございます!この著書がなければ、私は、二度とないチャンスを失い、この世だけでなく、未来永遠に苦しんでいたに違いありません!

 『人身受けがたし今すでに受く、仏法聞きがたし今すでに聞く』

 何の間違いか、若くして真実の仏法にめぐりあわせて頂いた今、私の人生は、光に向かって生まれ変わりました。

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