涙の底に光|親鸞会.NET

突然妻が難病に

紅葉の写真:親鸞会 会員の声

 50年連れ添った夫人・光子さんを昨年9月に亡くした新川次郎さん(仮名)は、悲しみの中参詣した親鸞学徒追悼法要(平成18年8月6日)で、「妻の死に方に悩んでいた私にとって、目からうろこが落ちた思いでした」と涙をにじませた。

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 病の前兆はおととしの春、京都旅行中のことでした。ふと妻が、「指輪が重い」とつぶやくのです。その後も、手を動かしにくい、体がだるいと訴えました。神経内科で検査入院し、結果を聞いたのが、その年の11月1日でした。

 初め医師は、専門用語を並べるばかりで、病名を言おうとしませんでした。私が何度も問い詰めた末、筋肉に命令を出す運動神経が日一日と死滅し、最後は呼吸もできなくなる、原因不明の病気と分かりました。しかも治療法が無いために、「この病院ではこれ以上何もできない」と突き放されてしまったのです。目の前が真っ暗になりました。

 病が妻の体をむしばんでいくのを目の当たりにしながらの毎日は、本当につらい以外の何ものでもありませんでした。昨年4月には車椅子で花見ができましたが、5月からは呼吸が苦しくなり始め、入院を余儀なくされました。

 1日でも1時間でも長く生きてほしいの願いもむなしく、妻は私を置いて、一人後生へ旅立ってしまいました。昨年9月20日、72歳でした。

 なぜだろう?なぜ妻が、あんな残酷な病で命を落とさねばならなかったのか。優しくて、世話好きで、人様から恨みを買うような人間じゃない。それなのに、なぜこんなことに……。

 妻を失った実感がわかず、今も部屋で寝ている気がして、1人にするのはかわいそうという気持ちから、どこにも出掛けず引きこもる日々が続きました。

 しかし現実には、目の前に位牌があるだけです。仕方なく位牌にいろいろと話しかけてみますが、全く返事がありません。それでは、妻が喜ぶことは何かな……?どうすれば正しい供養ができるだろうか?そればかりを考えるようになりました。

 そんな今年2月、新聞折込チラシの「浄土真宗」の字が目に飛び込んできました。そういえばわが家も真宗だ。供養の仕方が分かればと3月の勉強会に参加し、そこで初めて、仏教には人生の目的が説かれていることを知ったのです。続けて聴聞し、7月に親鸞学徒にならせていただきました。

 ただ、因果の道理にはどうしても納得できずにいました。妻の死に方が自因自果とは到底思えなかったからです。
 そんな思いを抱えたまま初めて参詣した2000畳で、三世因果のお話をお聞きし、大変な衝撃を受けました。私は今まで、生きているこの現在世のことしか考えていませんでした。過去世にまいた種まきが現在世で現れることもあるという仏説を知り、厳しいようですが、納得せざるをえませんでした。

 しかし何より、仏法は私自身の問題と知らされたのです。妻のためではなかった。私一人のために開かれた追悼法要であったと思うと、涙がこみあげてきました。
 聞いて聞いて聞き抜いて、平生業成の身とならせていただくこと、これが私の生きる目的であり、妻が最も喜ぶこと、と知ったのです。妻よ、ありがとう。本当の仏法にあえた私は幸せ者です。

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