星空が問いかけたこと|親鸞会.NET

人付き合いが苦手だった私

藤崎 拓さん(仮名)

宇宙の写真:親鸞会 特集

「夜には時計の秒針が工事現場のごとく耳障りに感じて、なかなか寝付けないものだ。皆さんは自分の最期を考えたことがあるだろうか。高校卒業という一つの区切りを迎えるにあたって、じっくり考えてみてはいかがだろうか。今から50年後、或いは60年後……否、それは明日かも知れない。人はいつか死ぬ。結果的には全て無くなってしまうのではないだろうか。それを無駄と呼んでいいのかは分からない。私は死ぬのがとてつもなく怖いのだ」

 これは、私が書いた高校の卒業記念文集の冒頭だ。

 生来、社交性のかけらも持ち合わせていなかった私は、幼少から人間に触れることを避け、街へ繰り出すことなどなく、いつしか内省的になっていった。担任の先生から個人面談で、「友達はいたほうがいいだろう」と言われたのが忘れられない。

 卒業文集には、文化祭や体育祭、修学旅行などで仲のよかった友達との思い出が多い。楽しいことはみんなで共有すると、もっと楽しくなる。それどころか、そもそも人は一人では生きていけない。どれだけの人のおかげで生かされているかしれない。

 その反面、友達がいればその友達から、面白い奴だと思われたいし、つまらない奴とは言われたくない。やりたくないことでも、人間関係をこじらせぬため、時間を使い、神経をすり減らす。知られたくない個人的なこともたくさんある。もちろん社会生活を営む以上、必要なこととは分かっている。けれど、どうしてこんなに堪忍しなければならぬのか。

「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と言ったのは夏目漱石だが、私もまた友達がいればいたで、その束縛というか、人間関係に悩んだ。自宅にテレビもマンガもなく、父もいなかった私は、共通の話題もなかったので、人づきあいをしなくなっていったのだ。


天体観測で知った大問題

 そんな私は、自然科学部という、その名も不明瞭な部に在籍した。入学当初、活動部員0名が私の心に光り輝いた。同期で入った物好きな人と顧問の先生と私の3人という、小さな小さなその世界は、とても居心地のよいものとなり、私は部活動に積極的になった。いつの間にか、その活動が地元紙に掲載されたり、テレビの取材を受けたりするまでに至った。

 ところが、またも人生の不条理に悩むこととなる。自然科学部の最も華々しい活動は天体観測。冬場は空気が澄むため、星がよく見える。PTAから頂いた数十万円の天体望遠鏡を使って星空を眺めた。山奥へ足を運べば、そこには文字どおり満天の星空が広がっている。夜空を仰げば何万光年という遠い星々を見ることができる。その幻想的な世界は、自分が地球に寝そべっているのか、あるいは、自分が地球を背負って宇宙空間を漂っているのか錯覚を覚えるような美しさがあった。

 それらの星のほとんどは地球より大きな天体。この宇宙の中の、ほんの一つかみが銀河系であり、その端のほうに太陽系があり、さらにその一部が地球だ。人間には大きなことでも、宇宙的尺度からは何ほどのことでもない。自分一人いてもいなくても、何も変わらぬ世界に私が存在する意味はあるのか。また、時の流れの悠久なるさまに比べれば、人生80年といっても、あっという間。その一瞬の人生をいかに生きるべきかが、大問題となって突きつけられたのだ。

 月日は飛ぶように過ぎ、高校3年の夏、卒業文集に一体何を書き残すのか。別に修学旅行が楽しくなかったわけではない。文化祭の思い出もある。しかし、人生あっという間という一大事を訴えずして、過ぎ去った楽しい日々を振り返って感傷に浸ることはできなかった。そこで担任の先生に無理を言って3倍の紙面をもらい、冒頭の言葉を書き始めたのだ。

 しかし、納得できる答えはついに見つからなかった。その悔しさを込めてただ一言、「我々は日常に何がしかの意味を求めて生活しているというわけではないのだ」と書くのが精一杯だった。人生に意味などないんだ。なさねばならぬ目的などないんだ。ただ生きられるだけ生きるのみ……。

 夢も希望もなかった私は、大学に入学してもやりたいこともなく、これからまた意味をなさない時間が始まる、と思っていた。そんな私が親鸞聖人のみ教えと出遇ったのだ。

 先輩の温かい輪に触れた私は初めて、人との接触に心からの喜びを感じた。ただ、現代的モラトリアムの塊が日本の大学生だと思っていた私は、先輩が、「人生は」と言っても、あまり聞く耳を持っていなかった。しかし続けて聞くうちに、半ば人生をあきらめていた私が、問題の大きさに気づかされ、これはあきらめ切れぬ問題であり、これこそ人生かけねばならぬこと、と知らされた。

 そして、初めて高森顕徹先生より『正信偈』の冒頭2行について聞かせていただいた。そこには、一時的ではない、変わらぬ幸せに救われた親鸞聖人の熱火の法悦が叫ばれていた。

 衝撃だ。いつ死んでも悔いなしと言い切れる幸せがあった。すべて無駄になるどころでない、100パーセント生かされる、必ず報われる命の使い道があった。「どうしようもない」などと書いたあの文集は、すぐに訂正しなければならなかった。

 高森先生はおっしゃる。「まことに、永劫の迷いを断ち切り、絶対の幸福を獲得するために生まれてきたことが、ひしひしと身証される。されば、美しい星空は、悠遠の彼方より生きた説法をしている。まさに、正覚の大音は、十方に響流したもうているのである」

 あの夜空は、阿弥陀仏のご方便。私もまた、知らされた真実を縁のある人に伝えたいと思う。

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