人知れぬ寂しさの底|親鸞会.NET

私の帰る所はどこ?

山田 麻里さん(仮名)

イチョウの写真:親鸞会 特集

 人生のおよそ半分を、アメリカで過ごした山田麻里さんは、現在、英会話教室の講師です。山田さんの胸には、バイリンガルならではの大きな夢が――。



「私の帰る所はどこ?」
 そんな思いが心の底を流れていました。2歳で家族とロサンゼルスに渡り、8年間滞在。帰国して日本の学校へ通ったものの、日本人の集団になじめませんでした。かといってアメリカにも完全に同化できず、どっちつかずの状態でした。両親の別居も重なり、小さいころから、帰る道を知らない旅人のような感覚がありました。

 高校時代は演劇に熱中し、舞台で演ずる時は、嫌な現実を忘れることができました。自分を表現することで、自己の存在を確かめたかったのかもしれません。

 学園祭ではミュージカルの主役に抜擢され、全力で挑んだ公演は大成功。皆が感動の余韻に浸る中、舞台を降りた私の心には、むなしさばかりが残りました。しかし、そんな心はだれにも言えませんでした。

 演劇にはそれ以上のめり込めず、自分を理解してくれる何かを求めて、アメリカの大学に進学を決めました。比較文学を専攻し、英米と日本の文学を通して、人間の心を探求しました。

 芥川龍之介の有名な小説に『藪の中』があります。黒澤明監督の映画『羅生門』の原作にもなった作品です。物語は一人の男が殺される。ところが当事者たちの言い分がまるで食い違い、結局、何が起きたのかだれも分からず、真相が藪の中のまま終わる話です。

 真実などない。著者はそう言っているように思えました。あるとすれば、人は皆、事実を脚色し、自分本位に解釈しているだけにすぎません。もし、自分の世界からしか物が見えないとするならば、人はだれとも理解し合えぬまま、死んでいくのだろうか?小さなころより感じていた孤独が、次第に輪郭を持ち始めました。

 大学で仏法を聞くようになったのは、そのころでした。高森先生から親鸞聖人の教えをもっと聞かせていただきたいと思い、卒業後は、日本へ帰りました。

     ■

 文学作品を翻訳するくらい仕事の幅を広げたいと今、考えています。日本の文学では、村上春樹の小説が、海外で最も人気が高い。アメリカの友人にもファンが多く、皆、村上の作品は実存的だと言っています。

 実存――。私は何者なのか。人はどこから来て、どこへ行くのか。そんな感性が彼の作品には漂っています。それが、孤独を抱える人たちの共感を得るのでしょう。

 しかし、優れた文学といえど結局、人は独り、と気づかせるだけで、救いはありません。

 この孤独の底に気づいた人にとって、親鸞聖人の教えこそ、心にさし込む真実の光と感じるに違いありません。大学時代、様々な国籍の友人たちが仏法を聞いて感動していた事実からそう思います。

 今は翻訳業を手掛かりに、親鸞聖人の教えを世界の人々に届ける道を模索しています。

 昔は日本人とアメリカ人のどちらにもなれないと思っていましたが、今はどちらにもなれる気がします。仏教の教えからいえば、人間の根底は変わりません。日米、双方の文化や考え方の違いを知る私には、私にしかできない役目があると思ってます。

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