都心で出会った本当の仏教|親鸞会.NET

寂しく、むなしい心

東京 北川誠さん(仮名)

親鸞会 特集|都心の風景

 継母に育てられた私は、

「この家に、自分の居場所はない」

と感じ、いつも寂しく、むなしい心を抱えていました。

 大学受験で、郷里から東京へ一人出てくると、今度は肺結核にかかり、長期の入院を余儀なくされてしまったのです。古びた結核療養所のベッドで、同室の療友が、夜中にゴボッゴボッと大量の血を吐いて絶命していくのを、何度も目の当たりにしました。

「自分も同じ運命をたどるのか……」

と思った瞬間、底知れぬ不安が、はらわたをえぐるようにうごめくのです。それは、とても直視できぬほどの恐怖でした。

「生きたい。何としても治したい」

という思いが強烈にわき上がり、医師の指示を厳格に守って、模範患者といわれるような闘病生活を送りました。
 その甲斐あって、1年2カ月で退院し、1年の自宅療養ののち、慶応大学に入学できたのです。

 大学では、好きな文学の仲間と同人誌を発行したり、寝食をともにしたりしましたが、幼いころから感じていた、胸の奥のむなしい心は消えませんでした。

 大学院時代は、有名な禅寺に下宿し、座禅に打ち込んでみました。
「犬に仏性はあるか」
とか、
「片手の声とは、どんな声か」
などの公案を与えられ、座禅を組みながら「腹で考えよ」と言われるのですが、1週間ぶっ続けに座っても皆目分からず、お粗末な自分を知らされるばかりでした。

 そのうえ、禅の世界で第1人者といわれた?老師?でさえ、

「都会に出てくると、境地が乱れる」

と語ったと聞き、「自分だけでない。禅宗では、とても現代人は救われないのだ」と見限ったのです。

 私は次に、「人と上手に接することができれば、心が満たされるのでは」と考え、自分の悩みの解消と実益を兼ねて、心理カウンセラーになりました。しかし、対人関係を円満にしても、やはりどうしても満足できない心がある。もっと根本的な解決がないものか。再び仏教に答えを見いだそうとしたのです。

 禅では駄目だった。浄土真宗しかないと思い、親鸞聖人に関する本を読みあさるようになりました。しかし、何か深い教えが潜んでいそうで、それが分かりません。

 5、6年続けたある日、電車の中で、「親鸞聖人の講話」というポスターを見つけたのです。その日の予定を変更して、全逓会館(東京・水道橋)での高森先生ご法話へ行きました。


威風堂々たるご説法

 演題は、「平生業成」でした。心にしみ入るように、静かに発せらる讃題のお声に引かれて聞き始めました。途中で、質問する人があっても、高森先生は、全く動じられず、的確に、丁寧にお答えくださいました。

 当時は、いろんな講演会で?糾弾?が、はやっていました。

「何だ、おまえは。何でそんなことを言うんだ」

と、野次が飛ぶのです。ほとんどの講演者は、オタオタしてしまいます。感情的に怒りだすか、平謝りに謝るか、あるいは、全く無視する人もありました。心理学の学会などで、そのような情けない姿を嫌というほど見ていましたから、高森先生の威風堂々としたお姿は、驚きでした。
 この日だけでなく、当時はよく、ご説法中、質問する人があったんですよ。

 高森先生は、体失不体失往生の諍論のお話で、聖人が善慧房の説法中に挙手なされたことから、

「常識から言えば、他人の話を中断するのは失礼です。しかし、仏法のことは、礼を欠くことにはなりません。私の話の最中に、質問してもらってもいいですよ」

とまでおっしゃり、どんな質問にも、分かりやすくお答えくださいました。話の流れで、すぐに答えられない時でも、

「もう少しあとで、お話しします」

とおっしゃって、お言葉どおり、ひとくぎりついた時に、きちんと解説してくださいました。ですから、高森先生に初めてお会いした時から、「これは相当な方だ」と感じました。
 そして、この日、

苦悩の根元は、無明の闇です。今、死んだらどうなる、と、魂にわらじを履かせて後生へ踏み込んだ時、真っ暗になる心です。私たちの腹底に、無明の闇があるために、何をやっても満足できず、むなしい、不安な気持ちが消えないのです。その無明の闇をぶち破り、無碍の一道に出ることこそ、人生究極の目的です

と教えてくださったのです。「そうだったのか」。自分の迷いの根本が解明でき、今まで求め続けていたのは、この道だったと直感しました。

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