仏法こそ人生の宝|親鸞会.NET

感謝の心

親鸞会には80過ぎてなお、青年顔負けのかくしゃくとした方が多い。

戦争、敗戦後の混乱、高度経済成長、大学紛争、オイルショック、バブル景気から崩壊まで、激動の世の変遷を体験したが、その方々にして今の時代は変だと言われます。

「親が子供を殺したり、子供が親を殺したり。そんなこと、昔はこんな頻繁にはなかったねえ……」

人間がどこか壊れてしまった感じがします。
金さえあればいい、よい成績さえ取ればいい。勝ち組になりたい。そうでなければ幸せになれない、生きる意味もない。
そんな浅薄な人生観に、大人も子供も縛られ、追い詰められているのではないでしょうか。物は豊かなはずなのに、肝心の人の心に幸福感がない時代です。

だが大先輩の親鸞学徒の方々は、何のためらいもなく言い切られます。

「私たちは幸せです」と。

それはどんな人生を、どんな思いで生きてきたからか、3人の方に聞いてみることにしました。

95歳の斉藤さん(仮名)は、市内の講演会には欠かさずに参加され、自身も近所の公民館を借りて、講演の会場として提供されています。

「若いころは、戦争で本当に何もなかったんです。私は東京で大空襲に遭い、富山へ疎開したあとも、富山大空襲を体験しました。たくさんの人も家も皆焼かれてしまって。それはもうひどかったんですよ」

焼けただれた瓦礫の町に、累々とした死骸の山。1軒の家に、焼け出された何家族もが同居し、子供を背負って食糧の買い出しに走り回る日々。そんな苦労を書き出せばもうキリがありません。

「皆、生きることに必死でした」。蓄えもなければ、娯楽もない。
「でも、そんな体験をしたから、今は何を得ても感謝できるんです。今の人は最初から与えられているから、何を感謝していいのか分からないのでしょうかね」と目を伏せた。


感謝できる心が幸せである。

「この世で最も不幸な人は、感謝の心のない人である」という言葉を思い出しました。

「私の祖父はよく朝3時に起きて、八尾から富山までの3里の道のりを、歩いて聴聞に出掛けていました。その姿に、子供心ながら仏法の尊さを感じたものです。今度は私が、子や孫たちに姿にかけて仏法を伝えたいと思います」と、家族への思いを吐露する斉藤さんです。

聞法歴が30年に近い阪本さん(仮名)は、85歳。市内なら、自転車でさっそうと仏法を聞きに出かけておられます。(雨が降っても、雨合羽で自転車に乗るそうです。)

阪本さんは、こう言われます。

「何十年と高森先生から親鸞聖人の教えを聞かせていただけて、私たちは本当に幸せです。人生で信心ほど大切なものはない。そう知らされとりますからね。仏法のこと以外、何があろうと、どうってことないですよ。戦争でどん底も味わってますし」

そう言うとカラカラと笑った。
真の宝は他力金剛の信心一つ。自他ともに獲得するまで、まだまだ老け込んでおれません」

阪本さんだけではありません。親鸞会で仏法を聞かれるお年寄りが生き生きしているのは、信仰に生きる熱烈な思いによるものでしょう。

これだけは伝えたい

「戦争で一度は焼け出されたものの、今では駅前にビルを構えるようにはなりました。
でもそんな財産を残すより、家族には仏法の宝を残してやりたいんです」と語る小林さん(仮名)は、現在91歳。


三方とも、普通なら、家族に何から何まで世話をしてもらっていい年齢でしょう。しかし、光に向かって進む親鸞学徒は、心が若く華やいでいる印象を受けます。

まさに永遠の青年。そんな言葉がピッタリくる大先輩たちです。

敬老の日を勝縁に、年配の方々への感謝を忘れず、老若男女、一層、光に向かって進みたいものです。

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