仕事を通して知らされる仏説の真実
一昨年に、環境や健康に関する仕事に就きました。
職場で気づかせられることは、自分の人生に対し、あきらめを持っている人がいかに多いかということです。これは、後輩、上司の別や、地位や立場を問いません。
知事や市長のような地方公共団体における指針や目的を表明する立場にある人も、自分の人生においては暗中模索であることが分かります。
「仕事だけでは人生はあまりにさびしいから、何かよりどころとなる趣味を持ちなさい」
とアドバイスする人もいれば、
「仕事に費やす時間は人生の大半を占めるのだから、つらくとも頑張ろう」
と語りかける人もいます。
しかし、それらの会話から共通して感じることは、仕事や趣味によって、足りない何かを埋めようとしているけれども、いまだにそのすき間を埋められずにいるという事実。
「人生なんてこんなものだ」
「ごまかしだろうが今が楽しければいいじゃないか」
「みんなだって同じだ」
という人たちに私は、ぜひ伝えたいことがあります。
「人生には目的がある、完成がある」
それを教えられたのが、平生業成の親鸞聖人の教えです。親鸞会ではその親鸞聖人の教えを聞くことが出来ますよ、と。