早く母に伝えたかった
古橋晋一さん(仮名)
私が、仏法に出会ったのは、大学に入ってからでした。
ある先輩から、「人生は、入学、卒業、就職、昇進と狭き門をくぐり続けるようなものだ」と聞かされたのです。
「そうやって最後の門をくぐった後、人は死んでいかねばならない。そんな人生、なぜ生きるのか」と先輩は問うてきます。
何かこの人は大事なことを知っているのではないかと、感じました。以来「なぜ生きる」という人生の目的を明らかにされた親鸞聖人の教えを聞くようになりました。
本当の親鸞聖人の教えが、故郷・富山県にある2000畳の親鸞会館で説かれていると聞いたときには驚きました。
初めて参詣した親鸞会館。懐かしい『正信偈』の勤行のあと、現生十種の益を教えていただき、人生の目的が完成した世界の素晴らしさを知らされました。
(※現生十種の益とは、阿弥陀仏に救われた人がこの世で獲る十種の幸福のこと:詳しくは「浄土真宗親鸞会
親子ネット」をご覧ください)
両親にも伝えたい。特にガンが発病していた母には、なんとしても早く伝えねばと思いました。
電話で、「人生の目的を学んでいる」と話し、高森先生の著書を送りました。
しばらくして母から手紙が届きました。
そこには、
「私の人生の目的は、あなたの成長を見ることです」
と書かれてありました。私をこの世に生んでくださった母。今も、こんなに思ってくださっているお母さん。本当にありがとう。母の思いにうれしく感謝しながらも、だからこそ仏法を分かってもらいたいもどかしさから、複雑な心境でした。
その後も手紙や、仏教の小冊子を送るなど、母の仏縁を念じ続けました。
その甲斐あってか、昨年の学生大会に、ともに参詣できたのです。人間の実相のご説法を聞かせていただき、母は大変喜んでいました。
しかし、母の病気はその後一進一退。見た目にはさほど変わりはありませんでしたが、確実にガン細胞は、母の体をむしばんでいったのです。実家に帰るたび、親鸞聖人のお言葉を伝え続けました。最後に話ができたのは、6月の親鸞聖人降誕会の終了後、病室の中でした。
母はつぶやくように、こう言っていました。
「晋一が仏法を聞いている理由が、今はよく分かる………」
そして、その数日後母は49歳で亡くなりました。
母を失った悲しみは、とても言葉になりません。しかし、無常は万人に訪れるもの。悲しみを乗り越え、光に向かって進ませていただきます。