嫁と姑心の交流|親鸞会.NET

メールや携帯電話など、伝達手段は日進月歩していますが、いつの時代でも、手紙はいいものです。電話では気恥ずかしくて言えないこともあり、メールでは、皆同じ文字になってしまいます。しかし、手紙なら1字1字、心が込もります。

これは、九州の小林直子さん(仮名)と、首都圏に住む長男(篤さん・仮名)の妻・芳子さん(仮名)との、手紙による心温まる交流です。

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仏法を聞き始めて間もない芳子さんが、姑の直子さんに初めて手紙を送ったのは、仏法と家庭をめぐり、夫と意見がぶつかった時のことでした。


嫁から突然の手紙。私の考え方は間違っているのでしょうか。

 実はさっき、篤さんとケンカしてしまいました。発端は、私に「早く正本堂へ参詣するように」との話でした。私も富山へ行きたいのですが、3人の息子がいるので、置いていくのは心配だと言ったのです。お互い感情的になってしまいました。

 今、落ち着いて考えると、高森先生とのご縁を少しでも早くという篤さんの私への気持ちは理解できるのです。ただ私も母として、子供たちへの責任があります。
いつ無常の風が吹くやも分からぬのに、1分1秒惜しんで仏法に向き合おうとしない私に、篤さんはいらだちを感じているのかもしれませんね。自分でももっと聞かねばと思いながら、できない私がいるのです。

 私は、日々の生活の忙しさを理由に、仏法と向き合おうとしていないのでしょうか?

 子供たちのことを理由にしているだけでしょうか?

 私の言う、子供への責任の考え方は、間違っているのでしょうか?

 自分でも心の中が見えません。かといって、友人や母に相談しても理解してもらえないでしょう。

 仏法と真剣に向かい、母として女性として相談できる方を考えた時、お母様しか思いつきませんでした。突然こんな手紙も失礼かと思いましたが、ぜひ、率直な気持ちを聞かせていただけたらと思います。どうかよろしくお願いいたします。

              2月6日 芳子




返信はその5日後に届いた。あまりの早さに驚きながら、芳子さんは、手紙の1字1字
を丁寧に追っていった。


急いで急がず、急がずに急げ


 お便りありがとう。仏法とのご縁は万劫にも遇えぬ、有り難いことです。よかったですね。
 とにかくは祝福します。

 お手紙の様子では、篤が急ぎすぎています。『急いで急がず、急がずに急げ』といって、心の中は何より大切に思って、急ぐ心が大事です。明日という不確実なものを信じて生きている私たちですから。しかし目の前の大事を抜いては、求めるものも求められなくなることがあります。子育ては、この世ではいちばんの大事と思います。私も子供がいちばんでした。女にしか、母親にしか分からないこともたくさんあるので、私からもよくよく話をしましょう。

 私の結婚も若くて本当に大変でしたが、その苦しみがあったから、仏縁という、この世でいちばんの幸に恵まれたことを思うと、何事もご方便と、かみしめています。

 聞法を続けていくと、荒れ果てた心の中の、石や切り株、雑草が取り払われていくようで、少しずつですが、ものに動じない、芯みたいなものができてきます。だから、時間の許す限り、近くで聴聞したらいいです。子供を育てるにも、夫婦間でも、本当に生かされます。仏法を聞くとは、自分の本当の姿を見せていただくということ。お粗末な自己を、法鏡に映し出してくださるのです。書き足りない分は次便にて。体に気をつけて。
               2月9日 篤の母より



1週間後に再び、直子さんから手紙が届いた。

 

仏法は宝です


 真実を知る者は幸福なり。真実を求むる者は、なお幸福なり。真実を獲得する者は、最も幸福なり。親鸞聖人の教えを知ったということは、眠らずに喜ばねばならないと教えられます。それを求める身になった人は、4、5日眠らずに喜べといわれるほどです。
 神戸の地震の時など、ボランティアで多くの人が動きましたね。しかし助けられた人の中には、自殺した人も多くあるんです。肉体は助けられても、満足できない心があったのです。

 親や兄弟が困った時でも、どれだけの援助ができるでしょうか。

 仏法は、因果の道理を教え、その人自身の心を耕し、人間の実相を見せて、すべて自分の種まきの結果だと教えます。子供たちにもきっといい影響を及ぼします。私のいちばんの幸せは、篤と、娘の久美子が聞法していること。こんなうれしいことはありません。『急がずに急げ』というのは、明日をも知れぬ、この世の無常を思ってのことです。仏法は宝です。心の中の宝は、取られたり、なくしたりしません。
 肉マン、少し今日送りました。食べ盛りのお子たちへ。
             2月14日 直子



「なぜ生きる」の答えを仏法に


 早々のお返事と、肉マンをありがとうございました。子供に負けじと、6、7個、一度に食べてしまいました。本当においしかったです。
 私は今年で40歳になりました。子供時代、青春時代、そして結婚、出産、子育てと、たくさんの出来事があったのに、思い返せば、夢のような、本当に一瞬のことでした。きっとこの先の40年も、あっという間なのでしょうね。

 長男が今年高校受験でしたが、私の友達も、子供の受験で右往左往していました。そんな友人を見て、皆、生きる意味や、生きているあかしに飢えていると感じました。

 若いころは、恋愛や結婚、仕事など、未知数なことも多く、夢もあります。でも私たちの年代の主婦になると、家庭生活に夢も持てず、かといって、ほかに何をすればいいか分からず、子供に結果を求めてしまう気がします。子供が、人もうらやむいい学校に合格することで、自分自身の何かを証明できたような、一時の満足感を得ようとします。でもそれも、はかないですよね。

 今までにも喜びや感動、達成感など得てきましたが、皆、一瞬にして過ぎ去った。それなのに、また同じようなものを得ようと苦労しているのでしょうか。

 私は、「なぜ生きる」よりも、「どう生きる」のために、仏法を聞きたいと思っていました。でも最近は……、「なぜ生きる」の答えを探している気がします。私は死が怖いです。

 自分は無になってしまうのか。意識や存在が全くなくなってしまうのが怖いです。

 この世にせっかく生を受けたのだから、自分自身がどんなものなのか知りたい。魂を感じたい。それを教えていただけるのが仏法であることを切に願っています。
 とは言うものの、食事の献立や子供の行事などに、仏法よりはるかにたくさんの時間を割いてしまう私です。目先のことに心奪われて、なかなか仏法に真剣に取り組んでいるとは言い難いのですが、『急がずに急げ』の気持ちで、進ませていただきます。近々家族で富山へ行く計画を立て始めています。お会いできることを楽しみにしています。
               2月26日 芳子

   

2000畳で初めて対面

そして4月、芳子さんは2000畳に参詣した。

「この時初めて義母に会ったんです。とてもパワフルで若々しいのに驚きました。何気ない会話も仏法中心で、一つの目的に向かって生きる素晴らしさが伝わってきました」

そんな直子さんとともに大講堂で、高森先生のご説法をお聞きできたことが何よりうれしかった。

その横には篤さんの笑顔があった。

「いろいろなことで悩み、自分の心を見失いかけていた時、義母は私に根気よく仏法を伝えてくれました。これからは、義母の思いを私が行動に移す時だと感じています」

7月ごろから家庭法話を開く予定だ。芳子さんの実家の家族も楽しみにしているという。
「正本堂にも車を連ねて、家族や親戚と参詣したいですね」

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