一度、親鸞会館へ参詣されると、あなたの宗教観・仏教観は一変し、
これが本来の仏法なのか、
浄土真宗なのかと知らされることでしょう
法悦の極みそのもの
4月、初めて2000畳に参詣した岐阜県の島田米夫さん(仮名)より手紙が寄せられました。
島田さんは永年、小中学校の教師を務め、今年80歳になられます。聞法の喜びとともに、親鸞学徒の言動に心打たれたことが切々とつづられていました。
以下、島田さんの感想を紹介します。
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『正信偈』の根本、
「帰命無量寿如来、
南無不可思議光」
の2行を講釈され、さらに阿弥陀仏のお力、十二光について詳しくご説明いただきました。例えを入れられた具体的なお話は分かりやすく、人間に生まれさせていただいた喜びを心から感じ、法悦の極みそのものでした。
そのほか会館内で感激したこともたくさんあり、その幾つかを挙げさせてもらいます。
まず、高齢者が大勢と思っておりましたが、若い方の多いのにびっくりしました。役員や係の方は3、40代と思われ、若い層の信仰の厚さに、新たな希望を抱きました。
2000畳の聴衆は、真剣そのもので、だれ1人横を向いたり隣の人とささやいたり、咳や居眠り、途中で退席するような人も見られません。
大講堂への出入りには、必ず仏壇へ向かって一礼し、廊下で出会いましても、皆、会釈しております。
さらにものすごく大きな建物にもかかわらず、部屋や廊下に塵一つ落ちていません。また、落ちていればどんな小さな塵でも、すぐ拾われる尊い姿を、何度も目にしました。ご不浄の履物は一足として散らばっていたり、向きが反対のものは見られません。
布団の上げ下げ、朝掃除、ご法話終了後の片付けや掃除など、分担ごとに自主的で骨身惜しまず、真剣に取り組む姿には、ただただ頭を垂れるのみでした。
こうしたことは、一軒の家庭でもなかなかできないことです。家でしつけられるのが当たり前なのですが、こんな大きなところで完成し、小さな家庭で崩れていることに情けなさを覚えました。
今に米寿を迎える私。初めて参詣の機会に恵まれ、万感胸にしみる一時でした。
平成時代は「物で栄えて心で亡ぶ」と言われますが、大勢の立派な親鸞学徒に接し、いまだ日本は、法の国、合掌の国として、ますます繁栄していくことと確信し、感謝のお念仏を称えさせていただくばかりです。ありがとうございました。
合掌