寺では教えてくれなかった|親鸞会 会員の声

親鸞会は聖人の教えを学ぶ集まり

杉谷 貴之(仮名)

「親鸞会のように、老若男女が、聖人の教えを学び伝えている集まりがあったなんて、驚きました」
 本会の存在を知りながら、杉谷貴之さん(67)(仮名)が一年半、講演会に参詣しようとしなかったのは、本願寺のいわれなき中傷のためでした。

   *    *

 通信工学のエキスパートとして会社に尽くしてきたが、定年退職後、「さて、この先、どう生きようか……」と考えた時、ふと思い出したのが仏教だった。

雑踏


 熊本県に住んでいた高校時代、浄土真宗の寺で掃除のアルバイトをしたことがあったからだ。住職に習って『阿弥陀経』を拝読したこともあり、懐かしさから、東京・築地本願寺に通うようになる。
 仏教書も読みあさり、一年半が過ぎたころ、杉谷さんは、焦りを感じ始めていた。
「なぜ、僧侶自身が話さずに、仏教と無関係な著名人を招くのか。なぜ真宗の大学教授が、浄土真宗ではない『般若心経』の話をするのか。なぜ、いまだに仏教を聞く目的がハッキリしないのか……」

 法話の日にも、「子供の命日だから、お経をあげてやってください」と訪れる人が何人もある。それを見るたび、昔のアルバイトを思い出した。
「寺は葬式や法事しかやっていませんでした。住職は、毎日十数軒、門徒の家を自転車で回り、夜にはクタクタになって帰ってくる。手が足りなくて、私にまで『阿弥陀経』の読み方を教えて門徒回りをさせたくらいですから」
 寺の実態は全く変わってないと感じた。



本願文の解説に感激

 無性に親鸞会の講演会が聞きたくなっていた。インターネットで親鸞会の存在は知っていたが、
「親鸞会は異安心(※)だ。信心決定した年月日を調査して回っていると寺で吹き込まれ、ご縁のないままでした。」

※異安心………親鸞聖人や蓮如上人の信心(安心)と異なる信心のこと。

 だがついに一昨年の暮れ、親鸞会館へ電話をかけ、神奈川での講演会の予定を聞き、足を運んだ。
「後生の一大事に始まり、その解決で終わるのが仏教と聞き、初めて目的がハッキリしました。高森顕徹先生のお話は、信心決定というただ一つの決勝点に向かって、集約されていました」

 休憩時間には、親鸞会の講師に、仏教についての疑問を次々とぶつけました。


「その講師はその時、『阿弥陀仏の本願』三十六文字を書いて、一字一字、熱心に説明されたのです。
 それでもう、感激してね。寺では聞いたことなかったですから」


「『歎異鈔』冒頭の「弥陀の誓願不思議」の意味が知りたくて、解説書を10冊以上読んだこともあります。だが、どこにも書かれていなかった。」

「高森先生のご説法で、『不思議とは二種深信のこと』とお聞きした時、そうだったのかーっと感動して、スカッと心が晴れました」

写真:太陽と森


 今では、真実の仏法を多くの人に伝えたいと、講演会場を探しては講師に紹介し、友人を誘っています。
「この前、仏教婦人会の知り合いから、『うちで親鸞聖人のお話を聞かせてください』と言われたんです。知らされた者から伝えていかなきゃね」
と快活な笑顔で語った。

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る