医療と仏法|親鸞会 会員の声

認知症を防ぐ秘訣

確かな目的に向かって 張りのある生活を

奥田 啓治医師(仮名)
 昭和31年開業。専門は内科。現在は、介護老人保健施設にも勤務している。

 医院や老人保健施設で診療に当たっていると、「早く死んでしまいたい」とこぼすお年寄りの声をよく耳にします。やがて認知症になれば、トイレに行くのもままならず、周りに迷惑をかけることも多くなるでしょう。「人に疎まれてまで生きていたくない」と、思うのも無理はありません。年を取れば必ず認知症になるとは限りませんが、発症の原因はいろいろあるので、予防法も確立していないのが実情です。では、どうすることもできないのかというと、経験上、私は認知症になりにくい人に、2とおりあると考えています。

 1人は、自分の殻にこもらず、人と積極的に会話している人。

 もう1人は、目的をしっかり持って、それに向かって生活している人です。

 どちらも日常に、緊張感が生まれ、心にしわがよりません。私の知り合いには、浄土真宗の教えを聞き求めている人が多くありますが、年齢からは考えられないほど、ハツラツとしています。生きる目的がハッキリしているからでしょう。

 絵や書など、趣味や生きがいを持っている人も、病気になれば、できなくなってしまいます。

 阿弥陀如来の救いを求めて、一生懸命になっている人は、今、目的を達成しようという強い気持ちがあるので、体の不自由な方でも、表情が生き生きとしています。

 私自身は、6年前、親鸞聖人の教えを聞かせてもらうようになるまで、死んだら極楽へ往けると説くのが、仏教だと思っていました。しかし親鸞聖人は、現在ただ今生きている時に救ってくださるのが、弥陀の本願であると教えられ、

「今、腹痛で苦しんでいる者に、死んだら治すという医者もいないでしょう」と聞きました。

 医師と名のつく者ならば、目の前で苦しんでいる患者を放置することはできません。

 大慈大悲の阿弥陀如来が、苦しむ人々に、「死んだら助ける」などと、無慈悲なことをおっしゃるはずがないと納得したのです。

 それまで、懸命に仕事をしていても、何か人生があじけなく感じることがありましたが、仏法を聞くためとハッキリしてからは、体が大変でも、つらいとは思わなくなりました。

 今では、「死にたい」と言う患者さんには、「阿弥陀如来に救いとってもらうまでは、死んだらあかん。万劫にも人間に生まれてこられんのやぞ」と励ましています。

前のページへ  1/2/3 次のページへ

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る