学生座談会|親鸞会 会員の声

生きる目的 根底になければ

岩井「私は教員を目指して、いじめや不登校、少年犯罪、学力低下、ニート問題などを学んできました。

 強く感じるのは、『なぜ、そうまでして頑張らねばいけないのか、それが分からないから問題が起きるのだ』と、いろんな人が熱心に訴えていますが、根底にある『なぜ生きる』が、どうしても問題にされないことです。

 平成16年4月、埼玉県の小学校で、授業参観日の朝に、新任の教師が教室で首つり自殺する事件がありました。生徒や保護者からの質問に、うまく答えられるか自信がなく、死を選んだようです。

 しかし、そんな姿を生徒に見せたら、『つらくなったら死んでもいいのだ』と思わせるのではないでしょうか。まず、教師自身が、生きるよろこびを持ちたいと思います」

もみじの写真

━━どんな分野でも、生きる方角が定まらないと行き詰まってしまうのですね。

草野「同じ高校から別の大学の文学部に進んだ友人が、『学問は、自己満足に終わるか、利益追求に走るしかない気がする』とメールを送ってきました。その彼に、今年の夏休みに帰省した時、『難思の弘誓は難度海を度する大船』の親鸞聖人の言葉を通して、人生の目的を伝えました。

『納得できる。仏教は他の宗教と全く違うと感じるよ』と言っていました」


※「難思の弘誓は難度海を度する大船、
  無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」(教行信証・冒頭)

〈弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ。
と教えられた親鸞聖人の言葉〉



西山「そういえば、大学入試の対策問題で、『末期ガンで苦しむ人から、死なせてくれと言われたら、安楽死させるのは是か非か、意見を述べよ』というものがありました。

 当時の私は、本気で苦しんでいる人に、『命は尊いから』『生きるのはよいことだから』と言っても意味がないような気がしましたし、かといって、『本人が望むなら』と、安楽死に賛成することもできず、迷いました。この問いだけは、『模範解答』が用意されておらず、医学部受験の友達も悩んでいました」

━━仏法に出遇って、その思いは変わりましたか。

西山「お釈迦さまの、『人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く』のお言葉を聞かせていただき、生まれ難い人間に生まれねば果たせぬ、尊い使命がある。だから、仏教では、『自殺は愚かな行為』と教えられていると知り、強い感銘を受けました」

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