若き親鸞学徒たち|親鸞会 会員の声

 親鸞会館には多くの若者が参詣しています。
 なぜ彼らは親鸞聖人の教えを聞くようになったのでしょうか?

『病気の苦しみあればこそ』

東京 学生 西村寛(仮名)

風景

 

 私の初めの記憶は、 病院のベッドの上でした。

 口にマスクを当てられて、 全身麻酔で眠りに落ちる、 それが2歳の私の初めての記憶です。

 病名は水腎症で、 腎臓の機能が低下する病気で、 物心つく前から、 何度も入院し、 手術を受けていました。

 体には今も消えない手術のあとが、 数カ所あります。

 手術の結果、 腎臓の働きは70%まで快復しましたが、 それもしばらくたつと30%に低下し、 毎年の検診を余儀なくされました。

 それでも、 毎年の検査の結果は特に変化なく、 快復しないながらも小康状態を保っていました。

 それが、 高校2年の冬、 いつものように検査を受け、 医師から検査結果を聞いた時でした。

「今までずっと見てきたけど、 だめだな」

「いずれ腎臓を取らないといけないよ……」

 あまりのショックに目の前が真っ暗になりました。

 そのあとの言葉は全く覚えていません。

 部屋に閉じこもり、 落ち込んでいました。

 どうして僕がこんな病気にならないといけないんだ。 何も悪いことしていないのに、 みんなは楽しそうにしているのに、 どうして僕だけ……。

 健康な人を見ると、 うらやましく、 楽しそうにしている人を見るとうらめしく、 ねたみうらみの心いっぱいでした。

 親に対しても、 八つ当たりをしたり、 「こんな病気になったのは、 お母さんのせいだ」 と言ったりもしました。

「腎臓は片方だけになっても、 ふつうに生活できるから」

と医者や両親に励まされ、 何とか立ち直りましたが、 少しでも熱が出たり、 体調が悪くなると、 腎臓を取らねばならないのでは、 との不安に駆られることもしばしばでした。

 そして、 1年が過ぎ、 大学受験をし、 合格しました。 けれども、 病気の不安はなくなりません。

 そんな大学生活が始まって、 2週間くらいたったある日、 仏法と巡り遇いました。

  因果の道理の話を聞いた時に、 驚きました。

 今まで他人を恨んだり、 ねたんだり、 両親にまで、 ひどいことを言っていた自分の愚かさが知らされ、 本当に申し訳ないことを言ったと反省せずにおれませんでした。

 こんな病気を持ってまで、 なぜ生きねばならないのか、 人生の目的を知らされた今、 病気の苦しみがあったからこそ、 仏法を聞けたのだと思えるようになりました。

 いつ手術となるか分からない無常の体です。

 1日も早く人生の決勝点まで進めるよう、 光に向かいたいと思います。

前のページへ 1/2/3/4/5/6

このページのトップへ戻る

【親鸞会.NET】トップに戻る