若き親鸞学徒たち|親鸞会 会員の声

『命を延ばす目的』

千葉県 学生 篠原美佳(仮名)

 

 私は、 なぜ仏教を聞いているのだろう、 聞かなくても生きていけるんじゃないかと思って会合に行かなくなったことがありました。 「なぜ生きるか」 なんて忘れて、 目の前のことに一生懸命になって生きていけば、 それなりに満足して死んでいけるのではないかと思ったのです。

 でも 「なぜ生きる」 を忘れて生きるなんてできませんでした。 何かに夢中になっている時は忘れていても、 生活の中でふと我に返るその時、 「私はこのままでいいのだろうか。 何か大切なことを忘れているのでは……」 という不安から離れられませんでした。

 私は看護学部で、 半年の看護実習を終えたばかりです。 その中で、 ある患者さんからの一言が胸に突き刺さって離れません。 その方は「難病」といわれる病気で、 酸素療法をしなければ生きていけず、 いつも酸素ボンベをガラガラと押しながら生活していました。 それでも気丈で明るく、 いつも病室の皆さんを笑わせていました。

 ある時、 その患者さんが、 「初めて酸素療法することになった時、 悩んだわ。 だって、 そこまでして生きなくてもいいんじゃないか……ってね。 若い子なら生きなきゃいけないだろうけど、 私は夫や子供に迷惑かけてまで生きる理由がないわ」 と寂しそうに言われたのです。

 私は何とか励ましたいと思いましたが、 同時に大変、 動揺していました。 私の中にもまた、 その答えはなかったのです。「苦しい思いをしてまで、 なぜ生きるのか」これが分からなかったら、 何のための看護だろうか。 これに対する答えを持たない私が、 患者さんを励ます看護師なんてできるだろうか……。

 人生の目的が知りたい。 それは患者さんのみならず、 私の人生にも絶えず突きつけられている問題でした。 私がなぜ仏教を聞くようになったのか、 その理由がよみがえってきたように思いました。 今、 私は、 再び法友とともに光に向かって進ませていただいています。

 仏教は私の人生にとって、 なくてはならないものであると、 確信しています。

『いつどうなるか分からない、そんな世界に生きている』

 

千葉県 学生 篠原美佳(仮名)

 

『煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごと、真実あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします』
                                 (歎異抄)

『いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ念仏のみがまことなのだ』

 仏教を聞くようになり、 この世は、 火宅無常の世界だと教えていただきました。 しかし、 これが本当に、 自分の問題となっているのでしょうか?

 半年後、 突然の親からの電話で衝撃的なことを聞かされました。 今まで元気であった従兄弟が肺炎にかかり、 呼吸ができない状態であると。 そして、 白血病も再発しているとか。 また、 肺炎の薬と白血病の薬は相反するそうで、 治療が困難ということを知らされました。

 私は、 スマトラ島の災害、 アメリカのハリケーン被害よりも驚きました。 仏法で教えられているように、 無常の世界だ、 自分にもいつかふりかかることであると感じました。 そして、 仏縁をと、 手紙を送ったのです。 手紙には、 「なぜ生きるかがわかれば、 ひとは苦悩すら探し求める」 と書いて送りました。

 次の日ご法話を真剣に聴聞しようとしました。 しかし、 前日、 従兄弟の件があったのに真剣になれない私がいました。 四馬の譬喩(※)のいずれにも当てはまらないのが自分なのだと、驚き情けなく思わずにおれませんでした。

 「仏法は聴聞に極まる」、 蓮如上人もいわれているように、 聞法に身を沈めていきます。

 まことがまことと知らされるまで。


※四馬の譬喩……無常に対する感度を4とおりの馬に例えて表されたもの


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