親鸞聖人のお言葉が人生を変えた|親鸞会 会員の声

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」
キャンパスで知らされた真実の仏法。社会に出て、難度海の人生を痛感するほど、青春時代の仏縁を感佩(かんぱい)せずにおれない。

生きる意味 知り 教師の信念もつ

有名私立高校で英語の教鞭を執る美穂さん(仮名)は、大学で心理学を専攻した才媛である。真実の仏法に出遇うまで、方角のたたぬ人生に悩み続けた。そんな学生時代をつづった手記から、内容を要約した。

大学に入学。期待と裏腹に、待っていたのは失望だった。

「大学はつまらない。皆が同じような服を着て、同じようなことに興味を持ち、同じようなことを、同じように話す。ここにいたら、情熱も若さも吸い取られて、抜け殻になってしまう」

そんな時、学生劇団の公演にふと立ち寄った。舞台でスポットライトを浴びた学生たちが生き生きと、ひときわ輝いて見えた。

「高校まで、『真面目な女の子』で通してきた私が、そんな仮面を脱ぎ捨て、本当の自分をさらけ出せる唯一の場所が舞台だった」

スポットライトの中では、自分を解放できる。演劇の世界に夢中になった。

しかし、「どんな人物を演じようと、私以上のものは出せない。憶病で、コンプレックスの塊の私に、どうして人を感動させる演技ができるのか」。観客の目に、空虚な自分がさらけ出されるようで、怖くて舞台に立てなくなった。

「一体私は、何を望んでいるのか。自分で自分が分からない。お金か、名誉か、それとも恋愛か。どこへ向かって生きていけばいいのか」

哲学書や、人生論を読みあさったが、満足の行く解答はなかった。キリスト教に救いを求め、聖書の言葉に一時の慰めを得たが、心はすぐに乱れた。

神が駄目なら、社会変革を、と学生運動にも参加する。しかし、派閥抗争に引きずり込まれ、わずかなスリルを味わうだけで終わった。

『大学なんてどこでも同じだよ。つまらないっていうのは、全部自分の責任さ。周りの環境も、自分が作り出していくんだ』

劇団の女性の先輩の言葉は強烈だった。

あらゆるものの価値を殺しているのは自分自身だ、と思えた。何の目的もなく、暗い心を抱え、たまらなく孤独だった。

生きるのは苦しい。幸せを求めて人は惑い、苦しむ。どんなにお金を得て、高い地位に就こうと、独りぼっちで死んでいく。「こんな迷いの人生に、終止符を打てたら、どんなに楽だろう。でも、命を絶つ勇気もない。私は人生に負けたのだ。生への疑問を心の底に沈め、世の流れに身を任せて生きていく。けれど、どこにもとどまることはできない」(手記の要約)

生きる方角に迷い続けたからこそ、親鸞聖人との出遇いは鮮烈だった。「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」(教行信証)の聖人のお言葉に、それまでの悩みがぶち破られた。

「私に、人生の目的をハッキリ示してくだされた親鸞聖人。それだけで、私の心は救われたと言っていいほどです」

真の幸福に向かう唯一の道を知った感動が、美穂さんの人生を変えた。

「真実を知らず、愁嘆の日々を送る人たちに、この喜びを伝えたい」

高校生に英語を教えながらも、心に常にその思いがある。クラス通信には、高森顕徹先生のご著書の話を載せた。〈楽にえられるものは、貧と恥のみ〉のお言葉に、何人もの生徒から反響が。

「今の世の中は、何が善か悪か、教師自身が悩んでいます。そんな中、真実の仏法という変わらぬ指針を得られた私は、本当に幸せです」

生徒をしかる時は、命懸けでしかるという。そこには何とかよくなってほしい、願わくば仏法を聞ける大人になってほしいという切なる思いがある。厳しさに愛情を感じれば、反抗的な生徒も素直になる。

その指導力を見込まれ、昨年、学年主任に抜擢された。

「仏法を聞いていなかったら、私は私、生徒は生徒と、割り切った冷たい先生になっていただろうな、と思います」

学級崩壊など荒廃が叫ばれる今日の教育現場。

「大変ですが、やり甲斐を感じられるのも、仏法のおかげです」

 

コスモス 東京都・昭和記念公園
コスモス 東京都・昭和記念公園

“弥勒と同格”に感動

弁理士として活躍する剛さん(仮名)は、理学部出身である。弁理士は国家資格で、特許や商標などの登録出願に必要な書類を作成するのが、主な仕事だ。

剛さんは学生時代、教学研鑚に明け暮れた。高森顕徹先生のご著書を常にカバンに入れ、背表紙がすり切れるほど読み続けた。

仏法を聞き始めたころ、

「真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す」(教行信証)

弥勒菩薩とこの世では肩を並べ、この命が尽きれば弥勒より先に、仏覚を成就できると知り、親鸞聖人の教えのスケールに圧倒された。それまで半信半疑だったが、自分は今、大変な教えを聞かせていただいている、と感動した。

社会に出た今、弁理士となり、大企業と応対する機会も増えた。だが、仏法に比べれば、世の中のことは何もかも小さく映る、と言う。

「みんな目先のことしか知らず、仕事に振り回されている感じがする。親鸞聖人の教えに生かされた生活をさせていただけることが、うれしいんです」

親鸞学徒らしく、相手から信用される仕事をして、それを縁に、

「聖人の教えをお伝えできれば」と考えている。

弁理士として第一線で活躍するには、新しい科学技術の価値を正確に理解していなければならない。そのため、広範囲な知識が必要となる。9時始業の事務所へ毎朝7時には来て、1人黙々と先端の技術や法律の勉強に励む。

「でも、仏法を聞いていなかったら、むなしかったと思う。仕事というのはキリがないし、同じことの繰り返し。しかもそれにさえ気づかなかったはず……」

親鸞聖人の「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船」で始まる『教行信証』総序のご文は、仕事に忙殺される毎日の中、ふと我に返らせてくれる。とりわけ好きなお言葉である。

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