2009/09/25

丹羽文雄(2)歎異抄に魅せられた人々

多くの著名な文学者が、歎異抄に魅せられていますが、
丹羽文雄もその1人です。
親鸞聖人について語るその言葉はとても熱いものがあります。

「自分の生涯というものを考えるとき、ぼくは親鸞と自分というものを
 切り離しては考えられない」(哀しき母の流転)

「親鸞は今日のわれわれの魂をつかんでいる。
五千枚の長編小説を書きあげたあと私は高い山を見あげる思いである。
それでいて親鸞は私の心のすぐそばに、こころやすく佇(たたず)んでいてくれる。(私の『親鸞』)

続きを読む »

2009/09/24

丹羽文雄(1)歎異抄に魅せられた人々

文学関係で文化勲章を受賞した人は20名ほどしかいませんが、
丹羽文雄はその1人です。
その丹羽文雄は親鸞聖人に魅了され、こう語っています。
「親鸞にめぐり会えたことは、一介の文学者としても、
人間としても、生涯の喜びである」(丹羽文雄『親鸞』あとがき)

続きを読む »

2009/09/03

三木清(4)《歎異抄に魅せられた人々》

『教行信証』は思索(しさく)と体験とが渾然(こんぜん)として一体をなした
稀有(けう)の書である。
それはその根柢に深く抒情(じょじょう)を湛(たた)えた芸術作品でさえある。
実に親鸞のどの著述に接しても我々を先ず打つものは
その抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから
溢(あふ)れ出たものにほかならない。

しかしながら、親鸞の宗教をたんに「体験の宗教」と考えるのは誤りである。
宗教をたんに体験のことと考えることは、宗教を主観化してしまうことである。
宗教はたんなる体験の問題ではなく、真理の問題である。

(三木清『親鸞』)

続きを読む »

親鸞会講座

最新の情報


Go Top