男女ともに世界一の長寿を誇る日本。だが素直に喜んでいる人ばかりではない。「皆に迷惑かけてまで、なぜ生きねばならないのか」。生きる意味が分からず居場所を失い、寂しさから痴呆が進む高齢者もあるという。
光に向かって進む親鸞学徒は、人生の目的を胸に、心は明るく、いつまでも若々しい。
法施は生きる力の源
しげひろさん一家に仏法を伝えたすみこさん(82)は、親鸞聖人の教えを求めるようになってから、「心身ともに健康になった」と言う。
「20代のころに肺を患って以来、ずっと無理のできない体でした」。医師からいつも「風邪引くなよ、長生きできんぞ」と言われていた。
新聞折り込みの案内チラシを見て高森顕徹先生のご法話に参詣したのは昭和51年。「仏法熱心な母が臨終に、『よく分からんことがある。分かる人から仏法聞きたい』と言っていた。こんなことでは寺は頼りにならんと思った。どこかに、いい布教使さんはおられんかと探していた時でした」
平生業成のご説法に、「この世で阿弥陀仏に救われる。これこそ仏法だ。もっと聞きたい」。以来、富山県内はもちろん、北海道、東京、九州、海外へも参詣した。聞けば聞くほど感動し、伝えずにおれず、ご法話の案内チラシを配り歩くうちに、体も元気になってきた。高森顕徹先生のご法話の案内をしてまわった。
「とにかく夢中で歩き、法施しました。風邪も引かなくなりましたよ」。新潟や和歌山へ、泊まりがけで顕正に出掛けたこともある。
「親鸞聖人から生きる力を頂いた。心にいつも仏法があります」
延命の意味を知って
てるこさん(69)は仏縁を結ぶ前、30年以上、看護師として医療に携わっていた。「患者さんの命を少しでも延ばしたい。その一心で務めてきました」
しかし延命治療を受ける植物状態の人などに接するたび、「苦しみを延ばしているのでは」と感じていた。
疑問が氷解したのは、病院を退職した平成4年、親鸞聖人の教えを知った時だった。「患者さんにも知らせたかった……」
その後、町からの依頼でホームヘルパーの職に就く。今度こそ仏法を伝えたいと思った。介護する側もされる側も耳を傾ける余裕はなかなかないが、てるこさんはあきらめず、浄土真宗の小冊子を紹介し、親鸞聖人の映画の上映会をした。親鸞聖人のご一生を知り、喜ぶ人もあった。
光に向かうてるこさんに、同居の長女夫婦は協力的で、居酒屋を経営する義理の息子は、「僕も親鸞聖人の教えを聞かせてほしいな」と最近話してきたという。
「幼いころから仏壇に手を合わせてきた孫たちは、家族思いの子に育ちました」
高校3年生の孫は、この夏、「親の恩」について読書感想文を書いている。
「孫と親鸞会館に参詣するのが夢ですね」とてるこさんは、柔和な表情を一層ほころばせた。

古代蓮 埼玉県・行田市
福祉が整っても突き付けられる問い 〜介護の現場から〜
看護師歴8年、さらにケアマネージャー(介護支援専門員)の資格を持つみゆきさんは、茨城県内の介護老人保健施設に勤務している。老いの現場で何が求められているか、聞いてみた。
介護保険法では、介護が必要な人の自立と福祉がうたわれ、どのようなサービスを受けるかは、自ら選ぶことが原則とされています。しかし実際は、本人よりも、子供の意向が優先されるケースがほとんどです。大事に育てた子供たちに、住み慣れた家を追われる悲しみはいかばかりでしょうか。
「両親の墓参りがしたいので、娘と連絡を取りたい」という70代の女性と一緒に電話をかけた時のことです。受話器の向こうで、「大事なお客があるから、お母さんに来られると困る。車椅子の上げ下げだけで大変なんだから、またにして!」と怒る娘さんの声。
「どうしてこんな不孝な子を持ったんだろう」と涙ながらに肩を落とす姿に、かける言葉が見つかりませんでした。
また、寝たきりの状態から、ようやく手すりにつかまりながら歩けるようになった80代の男性を前にし、実の息子が漏らした一言は、「こんなに歩けるようになったら危なくて家で見れない」。
悲しそうな目をしたその方は、急速に痴呆が悪化し、子供の顔も名前も分からなくなったのです。
「少しでも人の役に立つ仕事を」と夢を抱いて介護の現場に飛び込んできても、むなしい現実を知り、辞めていく人もあります。やる気の乏しい職員が残る「逆淘汰」で、ケアの質の低下を心配する声もあります。
介護する人も、される人も、生きる目的が分からず苦しんでいます。どんなに福祉制度が整っても突きつけられるのは、「苦悩だらけの人生、なぜ生きるのか」。親鸞聖人の教えをお伝えしていきます。
視点
近年、虐待される高齢者の実態が報道されるようになってきた。
平成15年8月5日の『読売新聞』社説では、「『長寿大国』の看板が泣いている」という見出しで、身体的虐待や、暴言で相手の心を傷つける心理的虐待、年金を取り上げる経済的虐待などがあると指摘している。
病院や施設でも、「必要な検査や治療を行わない」「手足をベッドに縛り付ける」等の行為を繰り返す職員があるという。その社説は、「安らかな老後は、みんなの願いだ。高齢者を虐待から守れないようでは、『長寿大国』を名乗る資格はない」と結ばれていた。
深刻なのは日本だけではない。異常高温に見舞われ、多数の死者が出たフランスの首都・パリでは、300人以上の遺体が、引き取り手のないまま保管されている。独り暮らしや、老人ホームで暮らす高齢者が多く、家族が夏のバカンスで保養地に出掛けている時に孤独な死を迎えた人もあるというから痛ましい。
若さにしか価値を見いだせぬから、高齢者を排除していく。命の輝きは、肉体ではなく、心にこそある。
青年
「わが歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」(御臨末の書)
“一度は親鸞、浄土に還るが、すぐに戻ってくるぞ。十方衆生が救われ切るまで、活動せずにおれないのだ”
未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人といわれる。
未来とは夢であり理想である。
魂の中に抱く、夢や理想の質や量によって、青年であるか、老人かが分かれる。
年齢によってきまるものではない。たとえ肉体は70歳80歳であっても、素晴らしい未来に燃える人は、青年だといえる。
無窮の波動のように、限りなき衆生救済の未来に生きられた聖人は、永遠の青年であった。





