親鸞会 家族で聞きたい

高森顕徹先生を招待 法灯護って40年

富山 下田浩二さん

 富山県南砺市で、家庭法話を40年間続けている下田さん宅を訪ねた。
 ご主人の浩二さんは、仕事を早めに切り上げ、車で法友宅へ。
「送迎は私の仕事ですから」と弾む声。

 赤尾の道宗で有名な五箇山を含む南砺市は、古くから浄土真宗の盛んな土地である。

南砺市 五箇山

 高森顕徹先生は、昭和20年代から、熱烈な布教に歩かれた。
「南砺地区では、年4、5回、1回に10日ほど行われていた」
という先生のご説法を、浩二さんの妻・由子さんは、両親と、中学2年の時から聞法していた。
 が、婿養子である夫の浩二さんだけが、仏法とのご縁がなかった。

「報恩講といって自宅に来ても、意味不明な話しかせず、葬式と法事に明け暮れる寺の実態を見て、仏法を馬鹿にしていました」
という浩二さんは、由子さんの度重なる誘いを一顧だにもしなかったのである。
「自宅に先生をご招待すれば、夫も聞くのではないか」
と由子さんは、母と相談した。

一座の聞法で大変わり

 昭和39年、祖父の征次郎さんが脳梗塞で倒れ、寝たきりになると、「祖父にも聞かせたい」と思い、翌40年から高森顕徹先生を招待した。
 征次郎さんは、仏間後方に敷いた布団の中で聞法したが、浩二さんは、ご法話の日に限って残業をし、聞こうとしない。
「夫に何とか仏縁を」と、今度は、ご法話参詣の送迎を頼むようになる。

 ある日、いつものように親鸞会の会館の入り口まで来た浩二さんは、会員から熱心に誘われ、初めて中に入り、いちばん後ろで高森先生のお話を聞いた。
「因果の道理のお話でした。仏法とはこんな教えだったのか、と目が覚める思いがしたのです」
 それからは少しずつ、高森先生のご法話に参詣するようになり、やがて、講演会の準備も率先してするようになった。

 義父母亡きあと、浩二さんは由子さんとともに、家庭法話の法灯を護り、参詣者は増加の一途をたどる。やがて収容しきれなくなった。
「昭和40年代は、ご法話の前日に、高森先生をはじめ、参詣者が20人くらい、うちに宿泊されました」
と由子さんは振り返る。

 昭和50年ごろからは親鸞会講師の法話になった。40年、家庭法話を続けている。

 南砺には、親鸞会の黎明期から聞法を続け、高森顕徹先生を自宅に招待したことがある会員が幾人もある。 
「先生が、富山県でも真っ先にご布教に回られた南砺に、もっともっとお伝えしていきたいですね」
 下田さん夫妻は、笑顔で語る。

 

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

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