親鸞会 家族で聞きたい

寺もマネをした家庭法話

北陸 徳本修三さん

 イノシシや日本カモシカ、サルも生息する山々に囲まれた徳本修三さん・香澄さん宅の家庭法話は、今や、寺をも教化し始めた。
 山越えの国道の、幾つものトンネルを過ぎた深緑の中に、木造2階建ての徳本さん宅がある。
 仏間で講演会の準備をしながら、香澄さんは語った。

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「高岡市前田町の会館に参詣していたころから、家庭法話のぬくもりが大好きだったんです」

 昭和47年、21歳で仏法を聞き始めた香澄さんは、在家での高森顕徹先生ご法話に何度も参詣した。当時住んでいた福井県から、富山、石川、滋賀県へも。どこも超満員で、押し入れの上下や、階段下にも人が入り、玄関にも、ござを敷いて座ったという。
「汗だくで大変だったけど、懐かしい。その家で昼食をごちそうになったり、泊めてもらう人もあってね。その時に体感した温かさ、人と人とのふれあいは忘れられません」
" いつか、こんな家庭法話を開きたい"という気持ちが、それ以来、ずっとあった。

 その後、看護師になり、病院で知り合った修三さんと結婚。今の居住地へ移る。やがて生まれた二人の子供を連れ、全国各地の高森顕徹先生ご法話に参詣した。

 数年前に家を新築し、10畳2間続きの仏間になって、仏壇も新調してからは、いよいよ自宅での法話を夢みるようになる。
「普通、座敷を使うのは、宴会とか町内の寄り合いでしょ。盆や正月なら親戚を呼んでお酒を飲み、タバコの火で畳の1枚でも焦がしてね。そんな使い方でなく、ぜひご法話を、と思い続けていました」

 ようやく2年前の春から隔月で、親鸞会の講師を招待することになった。

 講演会の当日も、看護の仕事で未明に帰宅する香澄さんだが、体力的につらくても、
「夢がかなった喜びのほうが大きい」。
 修三さんは講師を手伝って、法話に必要な機材を設置。看護師になった長女・典子さんもお茶を準備する。

 間もなく法友たちが、にぎやかに訪れた。土曜午後の開催なので、家族で参詣する人も多い。呼ばれるたびに香澄さんの明るい返事が廊下に弾む。玄関先で、その笑顔に触れた法友の顔もほころんだ。

向かいの寺も、慌てて説教

 徳本さん夫婦は、同じ町の人にも伝えたいと、法話の案内チラシを手に、一軒一軒案内に歩いている。
「『こんなもの配って、お寺が怒らんけ』と言う人もあります。『だけど、寺は何も聞かせてくれんから!』と言い返しますよ」
と香澄さんは笑う。

「真向かいに、300年の歴史を持つ真宗寺院がありますが、法話も開かず、本当の親鸞聖人のみ教えを伝えていません」
 その寺は、徳本家の法話会が盛況なのをどう思ったか、永年していなかった説教を、最近するようになったという。
「月に1回くらいです。案内の張り紙もだんだん大きくなってきましたよ。先日は掲示板に、『浄土往生』と書いてありました。今までにないことです。でも、あの寺の坊守は、神社関係の集金にも回っている。親鸞聖人のみ教えを分かっていないんです」
「寺には、高森顕徹先生の著書をプレゼントしているし、親鸞聖人のアニメ映画もあるようだから、これから正しい教えを学んで、布教に立ち上がってもらいたいと思っています」

   ◇     ◇

 法話が終わるころ、キリキリと鳴く虫の声が聞こえてきた。法友たち一人一人に、徳本さん夫婦は手を振り、夕闇の向こうへ見送った。家の周りに群参していた車が1台ずつ消えていく。
「この辺りで、こんなに人が集まることはめったにないんです。法話のたびに、いいうわさになって、『どんな話なんだろう』と関心を持ってもらえたらうれしいですね」

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

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