親鸞会 家族で聞きたい

唯一の肉親に伝えたくて

近畿 斉藤秀美さん

 高校卒業後、町役場に勤務した斉藤さんは、正確な仕事ぶりを評価され、早くから管理職に就く。町議会で答弁する機会も多く、帰宅が夜中の2時になる日も珍しくないキャリアウーマンだった。

 総務部長まで昇進したが、「そろそろ、いいやろ」と思い、平成3年、早期退職をする。
 ポスターを見て、親鸞会の法話に参詣したのは、同年秋のことだった。

 父親の影響で、どんなに忙しくても朝晩、『正信偈』を拝読していたが、いかんせん、意味が分からない。退職の1年ほど前、役場で机を並べていた、浄土真宗の寺の息子に、
「『正信偈』の意味を教えてくれる所はないかしら」
と尋ねた。すると、
「この辺には、ないなあ」
と、涼しい顔で答えたという。"門徒物知らず"でいいのか、と斉藤さんは思った。

親鸞会.net それだけに、親鸞会の法話で、
「『正信偈』には、正しい信心が説かれている。泥沼のような凡夫の心に、清浄な信心の花が咲き、この世で絶対の幸福に救われるのですよ」
と聞いて、目が覚めた。

「これは『門徒物知らず』どころじゃない。もっと聞かなければ」と、心が躍ったのである。富山の親鸞会館では、高森顕徹先生の『正信偈』のご説法をお聞きできると聞き、早速、参詣するようになる。

 同時に、真宗の多い自分の住む町でぜひ、近隣の人にも伝えたいと、会場を借りて講演会を開催し始めた。デスクワークは得意な斉藤さん、筆まめに、葉書案内を徹底した。

 また、『真宗聖典』をよく拝読し、初参詣の人の隣に座っては、
「ほら、先ほどのお言葉は、ここに書いてありますよ」
と、赤線の目立つ『聖典』を指さして話し込んだという。

 親鸞会 会員の情熱で、法輪は、隣の町にも広がっていった。

 

自宅新築、妹の仏縁に

 斉藤さんが仏法を最も聞かせたかったのは、離れた市に住む唯一の肉親である妹・清水美里さんだった。自宅のすぐ近くで開かれている講演会にもご縁がない美里さんに、何とか伝えられないだろうか。

 斉藤さんは、一大決心をする。美里さんの古里でもある自宅を新築し、家庭法話を開いて誘おうとしたのだ。

 斉藤さん宅は、昭和57年の水害で、背丈以上の水につかった。阪神大震災(平成7年)では、壁にひび、かわらがずれて雨漏りまで。
 築70年、「独り暮らしだから、私さえ我慢すれば」と思っていたが、仏法を伝えたいの思いから、仏間と講師控室を立派に造るという設計で、着工する。

 半年後に完成。天井に大きな明かり取りがある12畳の仏間には、太陽光があふれた。
 妹にも"わが家"と思ってほしくて、「斉藤」と「清水」の表札を並べる。

 翌月から美里さんは、毎回参詣するようになり、夫の信秀さんや娘の恵美さんも、姿を見せるようになった。

 取材した日、斉藤さん姉妹は、朝から掃除、接待などに忙しい。近くの商店街から自転車で、また、JRで来た法友もある。前庭の白州には、参詣者の車が整然と並んだ。
 講師の説法を聴聞する、美里さんを横に斉藤さんは、
「念願かなって、うれしい。親鸞会の正本堂にも一緒に」
と語る。

 隣の町から参詣している山本さんは、
「退職後、毎月来ています。近くてありがたい。最近は、夫婦喧嘩も控えて、妻にも聞かせたいと思っています」

 斉藤さんの家庭法話を縁として、近隣の町にも親鸞聖人の教えを聞き求める人が増えている。

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

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