親鸞会 家族で聞きたい

夫唱婦随で、親鸞聖人の教えを東京に

東京 水田信夫さん

 石川県で農家の三男に生まれた、水田信夫さん(75)は、戦後の混乱期、東京で働きながら建築を学んだ。故郷で就職したが、転勤で再び上京し、結婚。東京が、第二の古里となった。

 親鸞会で、親鸞聖人の教えと出遇って11年、新宿から電車で程近くのベッドタウンの中心街で水田さん夫妻は、毎月4回、家庭法話を開いている。

「阿弥陀仏の本願の意味を知りたい」
 浄土真宗が盛んな石川で、本願文を暗記していた水田さんの、20代からの願いだった。金沢市の西別院でも、京都の本山でも、東京の本願寺末寺でも聞けなかった。

東京の街並み(親鸞会) ところが、平成4年に参詣した親鸞会の講演会で、弥陀の願心が繰り返し説法されたので驚く。釈迦一代の仏教は、「唯説弥陀本願海〜唯、弥陀の本願海一つを説くためだったのだ」と知らされた。
" 真実の仏法とまだご縁のない首都・東京の人々に届けたい"
 聞法の喜びは、顕正の情熱と表れ、地元の商工会館で施主を勤めるようになる。住宅密集地に新聞折込をすると、地方出身の真宗門徒が多数、仏縁を結んだ。

 平成6年、講演会場を自宅に、と親鸞会の講師に申し出る。

「若いころ、両親が家で法話を開いていたんですよ。熱心な様子に心引かれ、いつか自分も、と思っていました」

 改築中の自宅が完成してからのつもりが、「勢いで日程表に載せてしまった(笑)」。が、これも勝縁。仮住まいのタンスや棚を寄せたスペースに法友が参集したという。

 自宅1階は、20年勤めたゼネコンを退いて始めた店である。妻の芹子さんが専ら仕切り、夫の聞法を支えてきたが、家庭法話の日は従業員に任せ、毎回参詣するようになった。
 夫と同じ石川出身で、中学時代、兄と妹を続けて亡くしてから、勤行を欠かしたことがないという。

「『正信偈』や『御文章』に"極重悪人"と書かれてあるのはだれのことか、と思っていました。私のことだと知って驚き、仏法を続けて聞かずにおれなくなったのです」

 一昨年、信夫さんが入院した時は、病室で作られたご法話案内の文案を芹子さんが清書し、有縁の人に送り、当日は1時間早起きして、準備万端整えた。病院から参詣する信夫さんも安心して療養に専念し、予定より1カ月早く退院できた。

 その後の講演会は、北海道、山形、福島、神奈川、富山、佐賀と出身地の異なる法友が、仏法讃嘆で和気あいあい。「領解文」のご説法を聴聞する。

「幼稚園のころから拝読していたのに、意味を聞いたのは、今日が初めて」
「人生の目的達成に、また一歩近づいた気がする」
 口々に感嘆の声が上がった。

◇    ◇

「結婚する時、あなた、こんなこと言ってたわね」
 終了後のテーブルで芹子さんが言う。
「『いつか必ず、弥陀の本願の意味を聞いて、おまえにも教えてやるからな』って」
「言ったとおりになっただろ」

 信夫さんは、満足そうな笑顔を浮かべた。

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

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