親鸞会 家族で聞きたい

家族や近所の人が集う「宝の山」

近畿 山本幸一さん

 近畿のある閑静な住宅地に、家庭法話を20年続ける山本幸一さん一家を訪ねた。
 手入れの行き届いた庭を通り、広い玄関から仏間へ。そこは、4部屋をふすまを外して一つにした、仏法が説かれる"宝の山"であった。

 幸一さんが40代の時、兵庫県の妙好人と慕われていた人が、村で熱心に布教したという。月に数回、10軒ほどが持ち回りで招待し、毎日違う家で夕方から夜10時半まで、15、6人が聞き入った。それが10数年続いたのである。

 それに比べ、本願寺へ何度も足を運んだが、布教の情熱は少しも伝わってこなかったと語る。
「もっと熱烈に布教するのが、浄土真宗ではなかろうか」
と思っていた時、めいが、滋賀で行われた高森顕徹先生の法話に参詣し、
「この方に間違いない。叔父さんも一ぺん聞いてみて」
と言う。昭和58年、幸一さんは初めて高森先生にお会いした。

「仏法の真髄、弥陀の本願の36文字を、あれほど丁寧に教えていただいたことはありませんでした」

法が説かれる親鸞会

 同じころ、末寺住職のたっての頼みで、門徒総代を務めることになる。
「あんたを待っとったんや」
と喜んだ住職の狙いは、人望の厚い山本さんに、本堂の雨漏り修理の募財を担当してもらうことだった。しかたなく、懇志を集めながらも、
「法を説かず、金だけ集めるのか」
と、不審がつのった。

 寺のある会合で、住職に、
「今までの話は、なっとらん。弥陀の本願を明快に説く人はいないのか。高森先生をぜひ、ご招待してほしい」と詰め寄った。
 住職は困惑し、ほかの参加者も、
「そこらにしといてくれ」
と言うので、
「これまで何とか寺に立ち直ってもらいたいと思ってやってきたが、これではアカン」
と、2年で総代を辞した。

 間もなく、親鸞会の講師を招き、家庭法話を始めた。

 *    *

 小雨そぼ降るこの日は、昼1時半より親鸞会講師の法話の予定だった。2日前より幸一さんは、仏壇や床の間を丹念に掃除した。代々引き継いだ大きなお仏壇を、1年前にきれいに洗浄したばかりだ。

 市の職員の長男は、休日のこの日、ふすまを外し、テーブルやソファーを移動する力仕事に精を出す。
「家庭法話で、親鸞さまの『正信偈』の意味もよく分かる。以前に法事でやってきた住職は、読経だけで帰っていったが……」
と語る。

 長男の妻も、合羽を羽織ってバイクで駆けつけた。いそいそと、お茶の準備に取りかかる。幸一さんは、
「息子夫婦はよく聴聞し、私らを大切にしてくれる。ええ嫁が来てくれた。実の娘みたいや」。

 親戚や近所の人、親鸞学徒の皆さんも集まってきた。奥さんの30年来の友達も2人、近隣から訪ねてきた。
 昨年の法事で、町内に宣伝し、法話をしたので、
「山本さん一家は、仏法と家族を大事にする、いい人ばかりだなあ」
と評判だ。近所からの参詣者が多いのもうなずける。

『正信偈』の説法を一座お聞きしたあとは、お茶やお菓子を頂きながら、法に出遇った喜びを語る声が尽きなかった。

 山本家での法話は、いつも「おもてなし」の温かさを感じる。

(プライバシー保護のため、仮名にしてあります)

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