海外留学、ボランティア、就職活動、専門研究など、個性を生かし、真実開顕に活躍する若き親鸞学徒の姿を追った。
手話学び母に仏法を
「耳の聞こえない父母の元に生まれた私に、障害はありませんでした」とゆうきさん(山梨県)は振り返る。
「手話が使えなかったころも、親が私の口の動きを読み、表情やしぐさで心を察知してくれたので、不自由はなかったんです」
だが、共働きで愛育してくれた両親に感謝しながらも、未来に明かりを見いだせず、悩むようになっていく。将来を考え始めた高3の時、親の行く先も、見つめずにおれなくなった。
「老いて、親がますます苦しむだけなら、生き続ける意味はあるのか……。このまま一緒に死んでしまおうと、何度思ったか分かりません」
しかし生きる希望も捨て切れず、親を安心させるためにも、と大学受験を決意する。
転機が訪れたのは平成9年の春。進学した大学で、親鸞聖人の教えと出遇ったのである。
「両親にも自分にも、人生の目的がある……。この一言がどれだけうれしかったか」
続けて聞法し、「苦労がすべて報われる時がある」「生まれてよかったと喜べる世界がある」と知らされ、親にも伝えたい、の心が込み上げた。
だが、「仏法は聴聞に極まる」。どう伝えればいいのか。
「まず、なぜ私が仏教を聞くのか、知ってもらおうと思いました。しかし、『むなしい』『寂しい』などの心を、手話で伝えるのは難しい。『苦しくとも、なぜ生きるか』の問い自体、なかなか伝わらなかったんです」。それでも、受けた大恩を思えば、あきらめることはできなかった。
そんなゆうきさんを、2年の夏休み、衝撃が襲った。父・やすひろさんの死である。悲しみもいえぬまま、母・よしえさんに相談した。「経済的な心配があったので、大学をやめて働いたほうがいいか尋ねると、『大丈夫。頑張って勉強しなさい』と言われました」
聞けば、ゆうきさんが小学生の時から、大学進学を見込み、学資保険に加入して少しずつお金をためていたのだという。
「母の前で涙があふれぬように、ひたすら耐えました。両親は、私のために苦労ばかり……。ただ申し訳なくて……」
大学を卒業したゆうきさんは、地元で就職し、今は母と暮らしている。「耳の聞こえない人も、そうでない人も、同じ人生の目的があるのだと、何としても母に知らせたい」と語るゆうきさんは、働きながら手話の勉強をし、「手話通訳」の資格を取ろうと計画中だ。
心はいつも、よしえさんに叫んでいる。「お母さん。必ず、親鸞聖人のお言葉を伝えるから、聴聞のご縁をあきらめないで。幸せになってほしいんだ」
三愛地区 北海道・美瑛町
「なぜ生きる」伝え 真の孝行
『仕送り受け取りました。大切に使います』
『先日は帰省した時、夕飯を作っていただき、ありがとうございました』
3年前の春から1人暮らしを始めたさとし君は、週に1度、両親に葉書を送っている。
「筆を執ってみると、親の恩が身にしみて、申し訳ない気持ちになります」
下宿では、食事の準備、掃除、洗濯など、すべて自分でやるしかない。「今まで親に頼りっきりだった。当然のことと思ってお礼も言えず……」。仏法を伝えてこそ真の孝行と知らされたさとし君は、愛知県の実家に帰るたびに、仏教の小冊子などを渡すようにした。高森顕徹先生のご法話にも誘った。
「よく息子に言われたんです。『母さんは、どう生きるかには真剣だけど、なぜ生きるか、考えたことある?』って」と母・りつこさんは苦笑する。
「確かに食事や健康など、あの手この手で考えるけど、目的は?と聞かれると分からなかった」
ホームヘルパーを務めるりつこさんは、高齢者の悲しい終末を目の当たりにすることが多い。「子供に面倒を見てもらえない人が、『嫁に迷惑かけられん』とか、『早く死にたい』と言われます。“なぜ生きる”がないから、寂しい終焉になるのかしら……」
未来の自分の姿に思え、目的を知らねばと思ったりつこさんは、昨年の報恩講から何度も親鸞会館に足を運んだ。
今日1日の命だったら何をすべきか――。求めていた人生の目的を知り、母に伝えたさとし君は、「報恩講は父も一緒に」と声を弾ませた。
美田地区 北海道・美瑛町
再受験で、「命」の看護師に
大学生のあゆみさんは、農学部をやめ、医学部を選んだ理由をこう語る。
「親鸞聖人から生命の尊厳を知らされ、命を守る看護師に、と思ったんです」
だが再受験には経済的負担が両親にかかる。大手スーパーの影響で、実家の布団専門店の経営は思わしくなかった。反対覚悟で、気持ちを告げた。
「あんたがこれほど自分をぶつけたことなかったね。とことんやってみなさい」。両親から意外なエールが送られた。
3ヵ月間で全教科を総復習し、平成14年、センター試験、二次試験を突破した。
看護師への第一歩を踏み出したあゆみさんに、9月、脳梗塞で祖父が倒れたと急報が入る。病院では、半身麻痺した祖父がベッドに横たわり、点滴を受けていた。
訓練すれば快復するが、生きる力を失ってリハビリを拒み、病状を悪化させるケースが多い。祖父もそうだった。
「生きる目的を伝えなければ」と、看護のかたわら、高森顕徹先生のご著書を読んで聞かせ、ビデオなども見せた。孫にこたえようと、祖父は懸命に口を動かし、手を握り返そうとした。
「おじいちゃん、元気になったね」との医師の言葉がうれしかった。少しずつリハビリに励むようになった祖父に、生きる力を与えられる看護師の重要性を再確認する。
幼いころから人見知りが激しく、成績表にも、「積極性に欠ける」とたびたびコメントされた。農学部も、「対人関係が苦手、自然相手がいい」と選んだものだった。祖父をいたわり、進んで介護するあゆみさんの変わりように両親は目をみはった。
「娘を変えた仏法を聞いてみたい」と、報恩講には親子そろって参詣した。(おわり)