海外留学、ボランティア、就職活動、専門研究など、個性を生かし、真実開顕に活躍する若き親鸞学徒の姿を追った。
現場で見た福祉の限界 〜真の救済あってこそ〜
「アンデスの民族音楽、特にケーナという楽器が好きだったんです。こんなきれいな音色を生み出す国は、どんなに平和だろうかと……」
福祉系の大学生、まよさんは、南米に大きなあこがれを抱いていた。だが中学生のころ、ペルーを特集したテレビ番組で、路上にたむろする恵まれない子供たちの姿に愕然とした。
数々のアンデスの名曲を生み出した南米のペルーは、極度の貧困が広がり、テロや麻薬などの国際犯罪の温床ともなっている。想像と現実のギャップに驚き、ペルーの子供たちを助けたいと思ったのが、「福祉の道を選んだきっかけ」だった。
高校時代から、青年海外協力隊などのボランティア団体とも接触し、将来のペルー行きを実現させるため、具体的な準備に取りかかっていた。
そんな高校3年の終わりごろ、兄・ふみひろさんより、親鸞聖人の教えを聞かされた。しかしまよさんは、兄の言葉が机上の空論に思えた。
「今、現実に困窮している人たちには目をつぶり、絶対の幸福などと言って、自分たちさえ幸せになればいいの?と、反発していました」
ところがやがてまよさんも仏法を聞かずにおれなくなってくる。人間にできる援助の不徹底、不完全さを、福祉の現場で痛感せざるをえなかったからだ。
「大学の実習で、重度の障害者や老人の福祉施設などを訪れると、とても肩代わりできない苦しみを背負った方ばかりなのです」。痴呆の始まったある寝たきりの老人のおしめを替えたあと、職員から、どんなに介護しても、あと半年もたない命と聞かされた。
「それでも生きる手助けをするのはなぜか? 分からなかった私は、福祉活動の無力さを思わずにおれなかったのです」
この難問も、「難度海を度する大船」のご説法を聞かせていただき、解けていく思いがした。
経済的に困っている人への物資援助や、体の衰えた人への介護などは、難度海でおぼれる者に投げ込まれた「丸太」や「板切れ」であり、確かに一時的な救いにすぎなかった。
さらに真の救済とは、弥陀の願船に乗せられ、明るく楽しく人生の苦海を渡らせていただくことと知り、
「初めて福祉の存在意義に目が開かれた思いがしました」と、ひとみを輝かす。
今、まよさんはペルー行きは取りやめたが、子供たちの未来にかかわる仕事に就きたいと考え、児童福祉への道を選んだ。でもその心に以前のような迷いはない。
「孤児、虐待など、社会の水面下には目を覆う悲惨な現実があります。彼らの心の支えとなり、すべての人に大悲の願船のあることを伝えられるようになりたいのです」
福祉問題を自分なりに突き詰めた結論でもあった。
新栄地区(麦畑) 北海道・美瑛町
証明いらぬ 究極の真理
「数学科は紙とペンの世界。頭の中が舞台です」
しんいちさんは、大学院数理科学研究科で応用数理を学ぶ。日本の数学界は世界のトップレベルで、わけてもこの研究室は、著名な学者を輩出した伝統がある。しんいちさんは現在「微分方程式と超離散系の関連づけ」という難解な分野に取り組んでいる。
数学は、純粋で厳密な論理の学問で、宗教とは無縁と思われがちだ。ところがしんいちさんは、「論理的に物事を突き詰めていくと、だれでも仏法に行き着くと思う」と語る。
しんいちさんの場合、死後の有無がどうしても心に引っかかって仏教を聞き続けたという。
「死後は有るか無いか、答えは1つのはずです。人によって有ったり、無かったりするはずはない」。 そんなこと考えて何になる?と、ひやかす人も多かったが、「後生どうなるか。答えがないのではない。あるのに分からない。分からないまま後生へ入るのに、なぜ不安にならないのか?」。しんいちさんには、曖昧なままでいられるほうが不思議だった。
苦悩の根元が「無明=死後が分からない心」と聞き、「なるほど」と思った。
こうした数学的センスは、顕正でも発揮される。
「『仏教が真実なら、それを証明してみろ』と言う人がいますが、本当に真実が存在するなら、それは証明できるものではないんです」としんいちさんは語る。
「証明とはそもそも、『aを真実とするならば、bも真実といえる』というものです。だから証明には、まず土台となる真実が前提として必要なのです。では、その土台の『真実』はどうやって証明するのか。突き詰めると、本当に真実であることの証明、など原理的に不可能なのです」
しんいちさんは、大学1年の時の、高森顕徹先生のご説法が忘れられない。演題は、「歎異鈔第2章」だった。
「日蓮の謗法に動揺した関東の同行は、弥陀の本願のまことを親鸞聖人に証明してほしかったんだと思います」。ところが聖人は、関東の同行たちに、「弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば……親鸞が申す旨、また以て虚しかるべからず候か」。すなわち、弥陀の本願がまことだから、この親鸞の言うこともまことなのだ、と言い切られた。
「まだご縁の浅い時でしたが、これは数学や論理を超えた究極のお答えだ、と思いました。聖人の体得された真実のすごみを感じ、震えたのを覚えています」
数学という学問は、新たな分野が1つ開けると、一気に研究課題が広がり、そこで新たな分野を切り開くと、その向こうにまた課題が無限に現れてくる、という。
「際限のない学問です。数学の真理には、人間を幸福にする力はありません」
それが証拠にと、しんいちさんは、「偉大な発見をした人でも、日常は、『何か面白いことないか』と言っていますし、うちの教授もパソコンゲームに、はまってるんですよ」と、笑いながら答えてくれた。