冥土の旅の一里塚……じゃない、射水にある一里塚
「門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
と歌ったのは一休でしたが、その「一里塚」が意外なことに射水市(旧小杉町)にあります。
なんだこれ、って感じですが、これは旧北陸街道の「一里塚」なのです。(地図)
その昔、徳川幕府は江戸日本橋を基点として東海道、東山道、北陸道の三街道に、一里毎に榎(えのき)を植えて塚としました。
富山県内の旧北陸道沿いには、朝日町境の一里塚と、この小杉三ヶの一里塚の二つしか残っていないそうで、かなり貴重な代物です。
北陸道を旅する人は、きっとこの榎の木陰で体を休めたことでしょう。
……と言いましても、江戸時代の榎は既に枯死したそうで、今残っているものは昭和42年に植え直されたものだそうです。
(参照:『小杉町の文化財』)
ということで、旧小杉町にはかつて北陸街道が通っており、その古き街並みの面影を残しています。
例えば、射水市三ヶ地区内にあるこちらの建物。
「赤壁屋」の看板と囲いが実に風情がありますね。
看板を見たところ、昔の酒屋だったようです。
小杉高校から東方向へ、手崎地区に至るまで、このような古い街並みがずっと続いています。
↑表具屋さんの玄関先も、昔ながらという感じで素敵ですね。
↑こちらは「加賀藩高札場跡」。(地図)
あの前田利家で有名な加賀藩が、領民への懸札を掲示した場所です。
1665年に建てられたものだそうで、街道筋ならではですね。
↑これは旧小杉郵便局。(地図)
今は使われていませんが、大正13年に建てられたもので、映画のロケ地にもなった場所です。
↑これは「小杉展示館」。(地図)
明治33(1900)年に開業した「小杉貯金銀行」の社屋で、明治44(1911)年に建設されたものです。
昭和54年まで、北陸銀行小杉支店として使われていましたが、その後は展示館として開放されています。
まだまだ、加賀藩の「射水奉行所跡」や、加賀藩蔵跡、そして手崎地区には旧北陸道の道しるべとして、「右とやま、左いわせ」という石碑(地図)が遺っているなど、歴史を感じさせるものが沢山あるのですが、今日の紹介はここまでとしましょう。
ともあれ、「一里塚」って何か、お分かりになられましたよね?