2008年09月30日
【会員の声】息子と夫が身をもって 教えてくれたこと
親鸞会・会員の声に「息子と夫が身をもって 教えてくれたこと」を掲載しました。
この時私に、仏法は元気な時にしか聞かせていただけないことを身をもって教えてくれたのです。息子を亡くして1年半、主人も68歳でこの世を去ったのです。
「散った桜は来年も咲くけれども、消えゆく命は二度と戻りません。一大事とはこのことです」と、高森先生は教えてくださいます。
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- by shinrankai
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2008年09月30日
親鸞会・会員の声に「息子と夫が身をもって 教えてくれたこと」を掲載しました。
この時私に、仏法は元気な時にしか聞かせていただけないことを身をもって教えてくれたのです。息子を亡くして1年半、主人も68歳でこの世を去ったのです。
「散った桜は来年も咲くけれども、消えゆく命は二度と戻りません。一大事とはこのことです」と、高森先生は教えてくださいます。
2008年09月29日
浄土真宗親鸞会公式サイトの「会員の声」に「百千万劫の仏縁 前田町に参詣以来 40年ぶり」を掲載しました。
一方で、半年たっても1人でトイレに行けず、ご飯も食べられずに、「こんなんなら早く死にたい」と漏らす人もあります。
そんな時、「なぜ生きる」を伝えられるのは、親鸞学徒の理学療法士だけです。ご著書を渡し、関心を示す人には仏法の話をします。
結果、患者さんなど5人が2000畳に参詣し、うち3人が親鸞会会員によろこんでなられました。
2008年09月22日
公式サイトの「現代に生きる仏説」に「「生まれる」のは、いつだ」を掲載しました。
弥陀の本願文には、「若不生者 不取正覚」(若し生まれずは、正覚を取らじ)と誓われている。
「正覚」とは「仏覚(仏のさとり)」のこと、仏にとっては命である。
「若し生まれさせることができなければ、命を捨てる」という、まさに、この8字は、阿弥陀仏が命を懸けて誓われている極めて重要なお言葉であるから、親鸞聖人は「弥陀の本願」を「若不生者の誓」とおっしゃっている。
では、「必ず、生まれさせる」と弥陀が命を懸けられる「若不生者」の「生」とは、何を、いつ、どのように、「生まれさせる」ということなのか。これが大問題となるのだ。
2008年09月20日
会員の声に、「兵庫の法友続々と 聖人のお勧めどおりに」を追加しました。
正御本尊をお迎えした今、仏間に入るのがうれしくてならないと言うT子さんは「両聖人の教えに従ったのですから心がスッキリしました。朝夕、正御本尊を礼拝し、『正信偈』を拝読させていただける幸せをかみしめています」。
2008年09月16日
公式サイトの「会員の声」に「教えて還る子は知識なり」を掲載しました。
次第に、心拍計がほとんど振れなくなっていきました。そのいたいけな、やわらかい小さな手をしっかり握ると、気持ちが通じたかのように、また心臓が動き始めたのです。しかしそれもしばらくして止まり、再び動きだすことはありませんでした。わずか一日半の命でした。
2008年09月12日
仏教講座に「名号は、なぜ作られた」を追加しました。
いくら病気を治す原理が宇宙に存在しても、それを発見しそれに則って、医師が薬を作らなければ患者を救うことはできない。
いわば「南無阿弥陀仏」は、『万人の苦悩を抜き取り、永遠に幸福にする』真理を体現した阿弥陀仏が創造した妙薬に喩えられよう。
2008年09月11日
親鸞会行事の紹介として「信後も「惑い」(煩悩)はある 平成20年7月ご法話」を掲載しました。
7月、親鸞会館の定例の法話で高森顕徹先生は、
能発一念喜愛心
不断煩悩得涅槃
の、正信偈の2行について説法されました。
2008年09月10日
「会員の声」コーナーに「愛媛の親鸞会会員・同朋の里で深夜まで語らう」を掲載しました。
2008年09月09日
親鸞会.netに、新たな特集として「蓮如上人と聞法ドメイン」を追加しました。
第1回として、吉崎御坊について解説しています。
2008年09月05日
2008年09月04日
浄土真宗講座に「「雑行捨てよ」と「修善の勧め」」を追加しました。
雑行の本義は諸善万行。「廃悪修善」が仏教なのに「善を捨てよ」とは、如何なることでしょうか。
「雑行捨てよ」とは、「善を捨てよ、しなくても良い」と言うことでは断じてありません。善を行うことが悪い筈がありません。
では、「諸善」を「雑行」と嫌われ、捨てよと、なぜ言われるのでしょうか。
2008年09月02日