2009/04/22

無常の風は待ったなし 伝えたい親鸞聖人の教え

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無常の風は待ったなし。

だれにでもやってくる死ですが、家族の無常ほど痛切なものはないでしょう。
その悲しみを乗り越え、聞法に邁進する気持ちを水沢修司さんに聞きました。

 
昨年、母が家で転倒し入院しました。

幸い怪我はよくなり、年末には退院しましたが、1月に入って体調を崩し、再度、入院となりました。

胆石が見つかり、胆道を広げる手術をする予定でしたが、検査の結果、ガンであり、すでに治療できない状態であることが分かりました。

その月、母は誕生日を迎え、家族で祝いました。

病状は1週間単位で急速に悪化していきました。

看病にいくたびに、家族や母の兄弟は、
「かわいそうに…。でも、どうしてあげることもできない」
と泣きます。

「またよくなったら、一緒に畑仕事をしよう。早くよくなってね」
とごまかすしかありませんでした。

しかし、親鸞聖人の教えを聞かせていただいている私には、どうしても母に伝えたいことがありました。
それは、阿弥陀仏の一念の救い、信心決定です。

時間の許す限り、母の枕元で、親鸞聖人の教えを何度も話しました。

悪化した体にはチューブが腹部から通され、やがて、一人で手も足も体も動かせなくなりました。

「痛い。さすってほしい」
と、かすかに動く口元を見ながら、何度もさすると、
「ありがとう。ごめんね」
とかえって気遣ってくれました。

骨と皮にやせ細った荒れた手足をさすりながら、心配し続け、育ててくれた母のご恩に泣きました。

やがて、帰ろうとすると、急に目を大きくし、
「ありがとう。気をつけて帰って」
と大きな声になりました。

親は、何もかも、いつまでも与え通し、子供は、最後までもらいっぱなし…と、親の恩を重く感じ、涙があふれました。

最後の日は、一息一息の呼吸がつらそうな状態で酸素吸入をしていました。

私は、母の耳元に顔を近づけ、
「修司は、お母さんの子に生まれたから、仏法に遇えた幸せ者です。
 お母さんにも何としても、この世から未来永遠の幸せになってほしい。
 どうか、どうか……」
と、仏縁を念じ続けました。

そのような中、最期は、突然来ました。

 

「生きている」のと、「死ぬ」ことは、一瞬で分かれる。

それは、まさに無常の説法でした。

厳しく、激しい無常をよくよく見つめて、光に向かって進ませていただきたいと思います。

母のご恩を胸に。

 

(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)


(P)

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